【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2026年9月6日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書20章29~34節
主に向かって叫ぶ
原田 寛
今朝は、イエスが二人の盲人をいやしたお話である。
これは、主がなされた奇跡のひとつである。ふたりは見えるようになりたかった。しかし、イエスの周りにいた群衆は、盲人の求めなど聞こえないし考えていなかった。他者のことなど気にすることなく、イエスに対する関心の妨げになるようなことを排除したかった。ふたりにとっては、この群衆は、かつてエリコの町を護った難攻不落の城壁のようだった。
城壁は、渾身の力で突入しても微動だにしない。梯子を架けて乗り越えようとしても蹴落とされる。小さな力では、全く通用しない。そして、すべて無駄なことだと考えるようになっていく。そして、向こう側に行くことを断念することになる。
しかし、この城壁の向こうに救い主イエスがいる。ふたりは、城壁を越えてイエスの心に届くように「憐れんでほしい」と叫んだ。かつてのイスラエルがエリコの城壁を打ち壊したように叫んだ。城壁の重厚な城門は、向こうから開いた。そして、イエスの声が「何をしてほしいのか」と聞こえる。ふたりは主の前に進み出ることが許され、主はふたりの目に触れられ奇跡を行われた。ふたりは、求めていたことが適い救われ、とても喜んだ。そして、すべての人のために十字架を背負おうとしてエルサレムに向かう主イエスについていくのだった。
群衆もイエスについていく。群衆は、盲人だった人の求めを跳ね返す城壁となっていたが、道端で叫んでいた盲人の目が開かれるという奇跡を見、その奇跡を受けて救いの成就を喜ぶふたりを見たのだった。群衆は、他者の救いの喜びを自分のことのように喜ぶか、自分も救われたいと求めるか、依然として救われた者のことには関心をもたないようにするか。いずれかだっただろう。

わたしたちは、主の救いの御業を見ることができたことを、救われたふたりに共感して喜ぶならば、救いは喜ぶ人のところに訪れていると考える。
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