一粒の麦

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Nebo 山モーセの杖

2017年11月26日                          瀬戸毅義
世界バプテスト祈祷週間
米国の南部バプテスト連盟ではこの週間に当たるものを別の呼び方をします。ロティムーン・クリスマス献金(the Lottie Moon Christmas Offering)といいます。歴史は古く1888(明治21)年に始まりました。ロティー・ムーン(Charlotte Digges “Lottie” Moon)は米国南部バプテスト連盟の外国伝道局が中国に派遣した宣教師でした。彼女は1873(明治6)年から1912(大正1)年まで中国で独身宣教師として働きましが、厳しい生活を余儀なくされました。この時代の中国は疫病、飢饉、革命、戦争の時代だったからです。彼女の周囲には飢えに苦しむ多くの民衆がいました。更なる援助を母国に求めましたが叶わず、サラリーがカットされるほどでした。病みながら72才で帰国の途に就き、神戸港で亡くなりました。1912年(大正元年)年12月24日のことでした。

西南学院の創立者 C.K.ドージャー Charles Kelsey Dozier(1879―1933)
1879(明治12)年、アメリカのジョージア州ラ・グレィンジュ生まれ。13歳の時にその生涯をキリストに献げることを決心。マーサー大学、南部バプテスト神学校を卒業、1906(明治39)年9月に南部バプテストの宣教師として、新婦を伴って来日。10年後の1916(大正5)年4月、多くの困難を乗り越えて「私立西南学院」を設立した。第2代院長として西南学院の育成に心血を注ぐも、1933(昭和8)年、54歳で召されて、文字通り一粒の麦となった。
C.K.ドージャー先生が西南学院を創立する際、様々のご苦労がありました。以下はそのいくつかです。
ドージャー院長排斥のストライキの起った時のこと、三教授連袂辞表提出の直後、ド院長は態々烏飼の拙宅に見え、畳に手をついて、「大変ご心配・ご迷惑をかけまして申訳もありません。みなわたくしの不徳の致すところであります。伏しておねがいいたします。どうか辞表は撤回して下さい」と申されて、頭を畳にすりつけん許りにして詫びられたのであります。返すべき言葉もありません。心のうちにジーンと熱いもののこみあげるを禁じ得ませんでした。ここに全く世の罪を負う孤高悲哀の人・涙の人の姿があります。今も鮮やかにその時のドージャー院長の面影が脳裡に刻まれています。四〇年許りの春秋をへだてて。 丁度その頃、ある小集会で神学科の小野教授がド院長に対して「ドージャーさん、あなたははるばる故国をはなれて日本国に来られ、十数年尊い愛の労苦をされて、その結果が、こんなことではまことにお気の毒にたえません」と云う意味の言葉を告げられた時、ドージャー院長は思わずポロポロと涙を落されたとのことであります。もともと長命の家系の人であられつつ、人生の真昼時に心臓病を患われて天に召されられたのであります。・・・『西南よ、基督に忠実なれ』 - これ、ドージャー院長の遺言であり、北九州市小倉区西南女学院内にある墓碑銘であります。現在の西南学院をC・K・ドージャー先生は天上からどうみていられるでありましょうか。(伊藤祐之著『忘れえぬ人々』「C・K・ドージャー院長」121~124頁。待晨堂、1968(昭和43)年。)

先生はしばしば申されました。「私は必ず日本の土になります」。この一語こそ今尚脳裡に残って居ります。(故ドージャー院長記念事業出版委員会編『ドージャー院長の面影 A MEMOIR OF C. K. DOZIER 』三浦丈八。60頁。西南学院、1934(昭和9)年。)