人生の羅針盤

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エルサレム岩のドーム

2017年10月22日              聖書箇所 箴言1:7-9、ヨシュア記1:7

「人生の羅針盤」
瀬戸毅義
旧約聖書の「箴言」という標題は1章1節〈ヘブライ語〉ミシュレー(単数はマーシャール)に由来します。70人訳ではこの語を〈ギリシャ語〉パラボレーと訳しました。「ことわざ」とか「格言」という意味であり、その内容はユダヤの賢人が人間の生活を観察して得た知恵や知識です。表現は簡潔ですが人の心を打ちます。「箴言」はヨブ記やコヘレトの言葉と共に「知恵文学」に含まれます。箴言は紀元前300年から250年頃に書かれ、最終的に現在のように編纂されたのは紀元前2世紀の初めと言われます。
ギリシャ文化が圧倒的力を持つ時代にありながら、どうしたらユダヤ人は先祖伝来の宗教を守りつつも、他方では一般社会でも成功することができるのだろうか。しかもそれを「けんかもせず妥協もせず」果たすことはできるのか。その秘訣・回答となるべき言葉を集めたものが箴言でした。箴言から人は多くの事を学ぶことができ、人生の羅針盤ともなる金言を学ぶことができるのです。そのため箴言は教育的見地からも必読の書物となってきました。
箴言から幾つかの有名な言葉を挙げてみましょう。
〇主を畏れることは知恵の初め。無知な者は知恵をも諭しをも侮る(1:7)。
〇怠け者よ、蟻のところに行って見よ。その道を見て、知恵を得よ(6:6)。
〇 人間の心は自分の道を計画する。主が一歩一歩を備えてくださる(16:9)。
〇大酒を飲むな、身を持ち崩すな(23:20)。
〇あでやかさは欺き、美しさは空しい。主を畏れる女こそ、たたえられる(31:30)。
テモテ第二の手紙3章16節にこう書かれています。「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です」。ギリシャ語原文を見ますと、「聖書はすべて」(パサ グラフェー Every Scripture)となっています。
ここでの聖書は旧約聖書で、未だまとまった形での新約聖書はありませんでした。旧約聖書39巻は神の霊感(「神の息で」セオプネウストス God-breathed)で書かれました。聖書旧新66巻は、神の霊感を受けて書かれたもので、私たちにとって「人生の羅針盤」」なのです。
どこまでも信仰を土台にという経営方針でクリーニングの白洋舎を創立した五十嵐健冶(1877~1972)は、一日に一章聖書を読む一章会の提唱者で熱心に聖書を読みました。
旧社会党党首の川上丈太郎(1889~1965)の父新太郎は、熱心なクリスチャンで聖書に親しんでいました。丈太郎が小学校の高学年になると、父は自分で読まず、わが子に聖書を読ませてじっと聞き入りました。子供に読ませて、親子共々聖書を学ぶというのは、優れた宗教教育でしょう。聖書は丈太郎の信仰と人格形成に大きな影響を与えました。
All Scripture is inspired by God and is profitable for teaching, for rebuking, for correcting, for training in righteousness. (2Timothy 3:16, Holman Christian Standard Bible)
聖書は、すべて神の霊感を受けて書かれたものであって、人を教え、戒め、正しくし、義に導くのに有益である。(テモテ第二3章16節。口語訳)聖書はみな神の感動によるものにして、教誨と譴責と矯正と義を薫陶するとに益あり。(文語訳)