説教要旨 2015.10.11(2主日) 題:「むなしい言葉に拠り頼んではいけない」
聖書:エレミヤ書7:3~4
牧師 岩橋 隆二
エレミヤが語るメッセージは、「お前たちの道と行いを正せ」「主の神殿、主の神殿、主の神殿というむなしい言葉に拠り頼んではならない」(7:3~4)との厳しい言葉です。「むなしい」と訳されたヘブライ語シェケルは、「偽り」とも訳せるもので、神殿が迷信の対象になっていた様子が推測されます。ヨシヤ王の宗教改革は、神の民は必ず守られるとの期待を一層高めたのかもしれません。戦争による重圧の中で、神の民は弱い人々への配慮を忘れ、異教の神々に従うことで「自らわざわいを招いて」(7:5~6)いたのです。エレミヤは、神の民の苦しみの原因は、その不信仰にあると語ります。その一方で、神様には不信仰を赦す用意があることを伝えます(7:7、26:3)。エレミヤは厳しい言葉を語りつつも、神の約束は「むなしい言葉」ではなく、信頼できるものであることを告げます。エレミヤの預言は、厳しい裁きの言葉の連続です。しかし、戒めとしての神の言葉には必ず希望があるはずです。
自分たちの国が、これからどうなってしまうのか分からない。そのような状況の中で、人々の思いは「『主の神殿、主の神殿、主の神殿』と唱えれば、きっと大丈夫!」ということを信じる空気に包まれて行きました。この時のエルサレムの人々の姿は、私たちとは無関係ではないように思います。安全保障法案が成立し、私たちの国が戦争に巻き込まれるかも知れない現状。また5500万人の就労者のうち2000万人は正規の社員ではない不安定な労働者がいるような今の日本の不安定な時代にあって、自分たちの国が、これからどうなってしまうのか分からない現状がありながら、自分の保身だけを考え、「きっと大丈夫!」と考えている人達の何と多いことでしょうか。
「主の神殿、主の神殿、主の神殿」という言葉により頼むこと。それはエルサレムの人々にしてみれば、とても分かりやすいメッセージでした。この時、人々は何より、先の見えない不安定な状況の中で、分かり易い答えを出して、安心したかったのでしょうか。私たちにもそういうことがあるのではないでしょうか。しかし、神様が願っておられることは、自分たちで答えを出して安心するのではなく、きちんと自分たちの問題に向き合い、砕かれつつ、本当の意味で神様に立ち帰ることです。
私たちの信仰が、ご利益を得る手段、慰めを得る方便となり、ただ「信仰、信仰、信仰」と唱えるだけなら、「むなしい言葉」に拠り頼むエレミヤ時代の神の民と同じ間違いを犯すことになります。もし私たちがイエスさまの十字架による罪の赦しの陰に隠れて、そこにあぐらをかいているなら、・・・どうなるのか。お互い自分自身の信仰生活を吟味しましょう。