2015.9.20説教要旨 題:「主の言葉を書き記せ」 聖書:出エジプト記34:27~28
牧師 岩橋 隆二
神様は、イスラエルの人々を、エジプトでの奴隷生活から救い出されました。荒野の中でのテント生活の間、守り導いてこられました。神様は、人々がどのように生きていったらよいかを学ぶために、神様の愛がいっぱい詰まっている10の約束の言葉が彫られた石の板をモーセに与えました。しかし、人々は、モーセがいない間に、モーセがなかなか山からおりてこないので、待つことに疲れて、金の若い雄牛の像をつくりあげ、それを神様として拝みました。神様でないものを神様として礼拝したのです。この人々に、山から降りて来たモーセは、たいそう腹を立てました。神様の怒りと悲しみを知っていたモーセは、手に持っていた10の約束の言葉が彫られた板を高く掲げると、「あなたたちは、約束を知っていながら、その約束を平気で破ってしまった。いまさら、何もなかったかのように、この約束の言葉をいただくわけにはいかない」と言って、壊してしまったのです。人々ははじめて神様の深い悲しみに気付きました。
一度は「もう、イスラエルの人々と一緒に旅を続けるわけにはいかない」と語った神様でしたが、モーセの祈りを受け入れて、もう一度、人々といっしょに旅をすることを約束しました。それで、モーセに言ったのです。「もう一度、シナイ山に登り、山の頂上で、わたしの前に立ちなさい。あなたが砕いた、石の板に書かれていた10の約束の言葉をもう一度与えよう」。
モーセは、神様に命じられたとおりに、もう一度シナイ山に登ります。モーセは山の頂上に着くと、神様の前に立ちました。神様は語ります。「わたしはあなたがたを、大切に思っている。大きな愛をもってあなたがたを包み込もう。もう一度、10の約束の言葉をさずけよう」。モーセは、神様に答えました。「どうか、わたしたちが、神様にとって、いつまでも大切なものでありますように」。神様はモーセに、もう一度、10の言葉を語りました。「これらの言葉を板に書きなさい。もう一度、約束の言葉を与えよう」。以前は、神様が彫ってくれた約束の言葉。今度は、モーセが神様の声を聞きとって、自分の手で石の板に刻みます。額に汗をかきながら、神様の言葉を聞きとって、その言葉を大事に大事に書きとめました。最初は一方的に主がすべてをなして与えた十戒は、今度はかたくなな民をなおも導くように求めたモーセの働きを通して、そのゆえに、民に与えられることになったのです。
「人はパンのみで生きるものではない。むしろ、神の口から出て来る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4 岩波訳)。
人は神の口から出ることばによって生きます。神の民は、空腹よりもみことばが足りずに霊が飢えることを警戒しなければなりません。神は、新しい契約を結ぶために、モーセにみことばをすべて書きしるすように命じられます。神のことばが文書に記されることにより、神の御心は明確にイスラエルの民に影響を与えるようになりました。モーセは、シナイ山の上でみことばを聞いて悟り、正確に記録として残します。実に40日間、食べもせず飲みもしませんでしたが、神のことばを食べるよろこびによって幸いな時間を過ごします。みことばは根本的な喜びと満足を与えます。神のみことばを食べる人生に、まことの幸いがあるのです。