2016.12.18説教要旨 題:「容易ではなかったヨセフの従順」
聖書:マタイ1:22~25
牧師 岩橋 隆二
ヨセフにとって、マリヤのお腹に赤ちゃんが出来たことは、とても驚くことでした。と同時になかなか受け入れられないことでした。これはいったいどういうことなのだろう。何故こんなことになってしまったのだろう。これからどうすればよいのか。頭の中を、なぜ、どうして、どうしたらいいのか、そのことがぐるぐると駆け巡ったことでしょう。ヨセフが悶々として眠れぬ夜を過ごしていたとき、神様から遣わされた天使が現れて一つの言葉を届けました。「インマヌエル」。「神は私たちと共におられる」という意味です。神様の約束の言葉です。イザヤ書7章14節に預言されていた言葉です。「見よ、おとめがみごもって男の子を産む。その名はインマヌエルととなえられる」。ヨセフはこの聖書の言葉を知っていたのでしょうか。たとえ知らなかったとしても、「神様は私たちと共におられる」という天使から届けられたこの言葉に、頭が混乱し打ちひしがれていたヨセフはどれほど励ましを受けたことでしょう。神様はヨセフと共にいてくださるのです。あれほど悶々と眠れぬ夜を過ごしたことが嘘のように、ヨセフはそのことから解放されました。眠りから覚めたヨセフは、主の天使が命じたとおりに、妻マリヤを迎え入れ、生れた男の子にイエスという名前をつけました。ヨセフもマリヤもこの先にまた眠れぬ夜を過ごすような悩みをもつことがあるかも知れません。でも、「神様が共にいてくださる」インマヌエルという約束は消えてなくなることはありません。ヨセフは合わせて4回(1:20、2:13,19,22)夢の中で神様のみ言葉を受けました。そしてそれに従い、妻マリヤと子どものイエスさまを守っていくことになります。
神の働きを担うことには、いつも大きな負担が伴います。聖書は、イエスが聖霊によって宿った出来事に対して、マリヤがどのように反応したかについては、詳しく述べていません。しかし、神が罪のない人間のからだで来られるために、経なければならなかったマリヤの負担は、ものすごく大きなものだったでしょう。正しくおおらかな心を持ったヨセフですら、初めは結婚を破棄しようとしました。人間の救いのために人間として来られる神の御子を胎から育て、産み、養うことは、歴史に残る栄光でしたが、個人的、社会的にはとても不名誉なことでした。神の働きにはこのような両面性がありますが、マリヤは「わたしは主のはしためです。お言葉どおりこの身に成りますように」(ルカ1:38)と言ってその負担を担いました。
わたしたちキリスト者の生きる目的は、神の栄光を表すことにあります。この世的には、一見何の報いもない負担ばかりの働きに見えても、キリストのからだなる教会のために、また神の言葉を告げひろめる務めを果して行く時、わたしたちは神様から祝福を受けるのです。
使命を受けた人の献身は、神の恵みが私たちに臨む通り管となります。マリヤの妊娠によって大きな心痛を味わったヨセフは、怒りや背信の思いがありました。しかし、夢の中で主の使いの啓示を受けた後は、みことばに従順に従いました。人間的に見れば、彼は私生児の法的な父という社会的な軽蔑と誤解の眼差しを甘んじました。後にイエスは、人々から“ヨセフの子”というよりも“マリヤの子”(マルコ6:3)と呼ばれました。そのようにヨセフは、神を私たちの中に迎える“インマヌエル”の負担をすべて負いました。このようなヨセフの行動は、神への従順な真実さと人間への温かい愛の配慮でひき立ちます。神の恵みは、このように使命を負った者の十字架を通して私たちに臨みます。