【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年8月3日説教要旨
聖書箇所 列王記下5章1~16節
この人あり・・・
原田 寛
列王記は、滅びに向かうイスラエルの王国の歴史、すなわち、ダビデ王の後を継いだソロモンとソロモン以降の歴代の王とその歩みが記されています。ソロモンの次の代で王国は北イスラエルと南ユダ王国に分裂します。分裂後の王国の歴史の中に預言者エリヤとエリシャの物語、つまり、王たちと神の人エリヤやエリシャが対峙するお話が盛り込まれているということです。
北イスラエルのヤロベアム王は金の子牛を作りシケムとダンに設置し礼拝するという悪しき慣習を北イスラエルに持ち込みます。その慣習は、北イスラエルの代々の王に引き継がれていきます。神は、アハブの時代にエリヤを遣わします。そして、預言者の召しはエリヤからエリシャに引き継がれます。真の神の預言者が国内にいることは、幼い子どもたちも知っていました。
北イスラエル王国は、北にフェニキア、アラム、南に南ユダ王国とペリシテ、東は海、西はアモン、モアブに接していました。北のアラムは、鉄器文化の地域です。北イスラエル王国は、ダビデ・ソロモン時代のように周りの国々に対処することはできませんでした。戦いに敗れて領地や多くの民を失うこともありました。列王記下5章は、その中でのお話です。
ふたつの出来事から傾聴の重要性に関するする神の導きを学びたいと思います。
ひとつは、ナアマン将軍の召使となったイスラエルの幼い少女の言葉「ご主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに」に傾聴したナアマンの姿です。ナアマンの病のいやしにつながる情報は、アラムの王にまで届きます。そして、アラムの王はナアマンを敵対状態にあったイスラエルに戦いのためではなく、ナアマン自身の癒しのためだと書簡で伝え贈り物を付けて派遣します。
二つ目は、北イスラエルはアラムとせめぎあってきたので、北イスラエルの王はアラムに対してこれは罠かと苛立ちますが、エリシャは、受け入れることを王に告げます。しかしエリシャ自身は、ナアマンに会うことなく、「ヨルダン川で七度身を洗いなさい。そうすれば元どおりになります」と言葉だけを伝えます。ナアマンは、会って直接癒やしてもらうことを想像していたので、エリシャの言葉につまずき、憤慨します。そんなナアマンをナアマンの家来たちが、「父よ、あの預言者がたいへんなことを命じたとしても、あなたはそうしたに違いありません。あの預言者が、『身を洗え、そうすれば清くなる』と言っただけではありませんか」となだめるのです。ナアマンは、家来のいうことを聞いてヨルダン川で七度身を洗ったところを重い皮膚病は治るのです。
ナアマン将軍の北イスラエル入国は、北イスラエルの王がいうように、間違えば、両国の争いの激化につながるようなことです。しかし、神は、幼い少女の言葉からはじまって家来の進言をも用いられて、神の恵みと救いの事柄が進んでいったのです。これは、罪深い王家でなく、信仰心に富むイスラエルに真の神が共にいますということです。
私たちは、的外れな(罪深い)世の中で、主イエス・キリストによって父なる神に出会いました。私たちは、私たちを罪から贖いだしてくださった救い主イエス・キリストを証しましょう。使徒たちも述べました。
「わたしたちが救われるべき名は、天下にこの名をおいてほか、人間には与えられていないのです」使徒4章12節