【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年12月10日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書1章18~25節
その名はインマヌエル
踊 一郎
■今年もクリスマスの季節が巡ってきました。先週から待降節、御子キリスト降誕の心備えをする時です。私はこの季節になると、神学者K.バルトの言葉を思い起こします。「再び時が巡って、クリスマスの季節が訪れると、私たちみんなの心に、多少とも明瞭に、鮮明に、次の問いが浮かぶ。
『あなたがたのために、きょう救い主が生まれた!』(ルカ2:11)という知らせを聞いているか?」。今年こそまったく新しい心で福音書が告げる降誕物語を読み、御子キリストとの絆を強めたいと心から願います。
■待降節の意義は「待つ」こと。聖書の神はご自分の民に約束をお与えになり、民はそれを信じて待つのです。「我らの魂は主を待つ。主は我らの助け、我らの盾」(詩編33:20)「わたしの魂は主を待ち望みます/見張りが朝を待つにもまして」(詩編130:6)。K.バルトは言っています、「私たちはその約束を手にして将来に進み入ることができる。約束を持たないなら、時は耐え難いものになるだろう」と。
■待つことを通して私たちの信仰はますます堅固なものになるのです。私は西南の杜湖畔公園の近くに住んでいますが、昔ここには西南学院大学神学部の校舎と学寮があり、50年程前私はそこで学びました。校庭には大きな桜の木がありましたが、今も変わらず立っています。風雪に耐えて成長したでこぼこの幹を私は今撫でています。見えないところで年輪が50近くも増え、それだけ桜の木は強くなったのだと思います。筑紫野南教会の信仰も待降節を迎えクリスマスを祝う度にまた一回り堅固なものになっているに違いありません。
■マタイ福音書の3つのみ言葉に心を留めましょう。第1「このすべてのことが起こったのは、主が預言者を通して言われていたことが実現するためであった。『見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』」この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。」(1:23)。第2「二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(18:20)。第3「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(28:20)。マタイによる福音書のテーマは「インマヌエル(神は我々とともにおられる)」ということです。神の御子キリストの誕生は、神が私たちといつも共にいてくださるという確かな約束なのです。