【説教音声ファイル】
2020年5月3日説教要旨
聖書箇所 コリント第1 10章13節
み言葉の励まし
瀬戸 毅義
本書の著者はパウロ(B.C. ?10-A.D.67)。パウロの真筆の手紙。
著作年代は西暦55年。第3伝道旅行中にエペソにて記された。パウロは第3伝道旅行中、3年間エペソに滞在し布教した(使徒行伝18:23-19:41)。書簡の宛先であるコリントの教会は、パウロが第2伝道旅行の時設立したのであるが、落ち着かず問題があり彼を悩ませたのである。
コリントはギリシャ最大の貿易港、商業地であったが、ローマ人、ギリシャ人、ユダヤ人など多様の民族人種が居住する地でもあった。内側からこの都市を見れば、市民の貧富の差は大きく道徳的退廃も甚だしかった。入信後間もなくの信者には風紀の紊乱した異邦都市コリントは誘惑の多いところであった。そのため信者の中には偶像礼拝に参加する者、信仰の自由を口実にして不品行に堕ちる者もいた。感情的に恍惚状態となり、異言を語ることを誇る者もいた。生まれたばかりの信徒にはこれらは患難であり試練であった。要するに十字架という神の啓示にもとづかない人間中心の精神からそういう状況が教会内にうまれたのである。
パウロは「わたしたちは、十字架につけられたキリストを宣べ伝える。このキリストは、ユダヤ人にはつまずかせるもの、異邦人には愚かなものであるが、召された者自身にとっては、ユダヤ人にもギリシヤ人にも、神の力、神の知恵たるキリストなのである」と記している(1:23-24)。
彼は十字架につけられたキリストのみを伝えた。まさに伝道者のあるべき姿ではないか。現代の教会も我々もこのような姿勢を持つべきと思う。
塚本虎二は今朝の聖句を次のように訳している。
人間の力に余る試みが、あなた達をおそったことはないのである。神は誠実であられる。あなた達が耐えられない程に試みられることを、お許しにならない。試みに添えて、(かならず)逃げ道をもつくっておいてくださるので、それに耐え得るのである。(第1 コリント10:13 )
神はご自分が選んだ者を顧みられないような不誠実なお方ではない。それゆえ、キリスト者にその試練は、一見耐え難く見えても、必ずそこに逃れる道(“エクバシス”は「出口」、「終わり」の意味)が用意されるのである。
パウロは病身であったが、彼に主は言われた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」(コリント第2 12:9)。それ故、パウロは言い切ることができた。「だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである」(第2コリント12:10)と。
要するにパウロは強い人ではなく、キリストに強くされた人であったのだ。
つまり彼自身は罪びと、一人の人間にすぎないのであるが、強くしてくださった御方によってあれだけの働きが出来たのだ。今朝の聖書の言葉はいつの時代にもキリスト者に対する変わらない励ましの言葉であると思う。
パウロについての陰口(悪口)
「彼の手紙は重味があって力強いが、会って見ると外見は弱々しく、話はつまらない」(第2コリント 10:10)。
パウロの風体(ふうてい)(なりかっこう)
「彼は背低く、はげ頭にして曲がり足なれど、骨格たくましく眉毛相接し、鼻はやや曲がり、表情温雅の相にみつ。ある時は人間のように、ある時は天使の姿のように見える」。
経外典『パウロ及びテクラの行伝』の記述。
「パウロは身のたけ短く、少しく前方にかがみ勝ちであった」。
15世紀のニセフオラスの言葉。
(『聖書大辭典』日曜世界社版・増訂)。
パウロには外見上人を威圧するところはなく、彼は内面の人であった。キリストの姿が彼のうちにあり、自らの力量によらずキリストからいただいた恵みと力によって伝道したと思われる。