【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年11月26日説教要約
聖書箇所 ルカによる福音書21章1~4節
やもめの献金
宗広 一美
ここでの<みことば>は神殿の境内の中で語られています。イエス様は既にエルサレムの神殿の境内に入って来られていました。ルカによる福音書の19章45節からでは、入って来られるやいなや、そこで商売をしていた人たちを追い出し始めて、彼らに言われました。「わたしの家は祈りの家でなければならない。ところがあなたたちは、それを強盗の巣にした。」それから毎日イエス様は境内で教えられたのでした。その対象は、そこにいたすべての人たちでした。祭司長、律法学者、民の指導者たちもその中に含まれていました。指導者たちは、イエス様の行いや指摘に憤り、イエス様を殺そうとしましたが、民衆たちは、イエス様の教えに夢中にさせられていたようです。その中での今日の<みことば>でした。イエス様の見ておられることは、やはり人々の見ているものとは、異なっていました。人々は神殿の立派さや賑わいに目を取られていました。しかし、イエス様の目には、悪と善がはっきり見分けられていたようです。ある人々は金儲けのために神殿を利用していました。ある人々は自分たちの権威を誇るために神殿を利用していました。しかし、イエス様の目に止まった一人のやもめは、神殿を自分の利益のために利用しようとしてやって来た人ではありませんでした。彼女は、貧しい暮らしの中から自分のできる最大のことをして神様への信頼を示していました。
イエス様の目が見ているのは、この世のお金の多さでありませんでした。神様への信頼の心でした。イエス様は、言われました。「この貧しやもめは、だれよりもたくさん入れた。・・この人は、乏しい中から持っている生活費を全部入れたからである。」と。そういう意味で、この貧しいやもめの献金は、神殿を祈りの家、神様の住まわれる家として身をささげているのでした。このことにイエス様の目は、注がれています。
同じルカによる福音書の中で「幸いと不幸」と見出しの付いている箇所があります。6章20節からであります。こう言われています。“貧しい人々は幸いである。神の国はあなたがたのものである。”と。ここで言われている幸いの理由は、救い主を求める信仰とそれに答えられる主の共なる臨在です。
救い主の誕生を祝うクリスマスは、すべての人へのプレゼントです。貧しい人も、金持ちも差別はありません。しかし、十分有り余るほど物をもっていて、何不自由ない人は、救い主を求める思いからは、遠いでしょう。助け手を必要としていないからです。それに対して貧しい人は、救い主を求めないではおれないし、やさしさや憐みにどんなに喜ばされるかしれません。彼らは、やさしさや憐みに近いのです。詩篇の歌では、よく神が喜ばれるのは、焼き尽くす捧げものではなく、憐みの心である。と歌われる通りです。
ですからイエス様の目に留められている貧しいやもめの信頼から私たちは学びましょう。だれもが同じ人間です。同じ弱さを持っています。自分を欺いて何者であるかのように思い込まないように主の語られることに心を止めましょう。