【聖書箇所朗読】
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2025年1月12日説教要旨
聖書箇所 フィリピの信徒への手紙1章29~30節
キリストのために
原田 寛
フィリピの信徒への手紙1章12節以下の小見出しに「わたしにとって、生きるとはキリストを生きること」と記されています。パウロは、人生をかけて真剣に人となられた神の子イエス・キリストに向き合っていることが伝わってきます。
フィリピの信徒への手紙は、獄中書簡であることが知られています。獄中ということは、何らかの罪が疑われて捕らえられているか、罪のゆえに償いの期間を得ているということになると思います。使徒言行録16章にフィリピでパウロとシラスが捕らえられたことが記されています。当時のフィリピは、ローマ軍として戦ってきたローマの退役軍人を中心としたローマの町でした。ユダヤ人は、移住した先で集会所を設けてユダヤ教を中心とした文化形成をするのですが、フィリピではそれが認められていませんでした。それで、ガンキテス川のほとりに祈りの場を設けて集っていたということでした。パウロとシラスは、占いをする女性に付きまとわれ、困り果てて占いの霊を追い出し、占いを行うことができなくしてしまいます。その女性によって生業を得ていた者たちが、ローマの風習にそわない者だとして訴え、ふたりは捕らえられてしまいました。捕らえられたふたりは、鞭うたれた上、牢の一番奥に入れられ厳重に見張られるのでした。しかし、その夜中、ふたりは、共にいてくださる神を賛美し祈っていました。すると、大地震が起こり、牢の土台が揺れ動きます。牢の戸がすべて開き、囚人を縛っていた鎖も外れてしまったのです。目を覚ました看守は、戸が開いているのを見ると囚人はすべて逃げてしまったと思い込み、剣で自害しようとするのです。パウロは、大声でそれを阻止し、「みな、ここにいる」と伝えるのです。看守と家族は救われます。この話は、続きがあるのです。ふたりは、再び牢の奥に入れられます。そして、ローマの高官が釈放を伝えたとき、ローマの市民権をもつわたしたちを裁判にもかけずに公衆の面前で鞭打ってから投獄したのに、今ひそかに連れ出すのか」と、やり取りが記されています。フィリピの信徒たちは、パウロたちに神様がしてくださったことを共に経験してきたのではないでしょうか。
獄中のパウロから受け取った手紙に対する思いフィリピの信徒たちの思いは、過去の出来事を思い起こさせるとともに、「生きるとはキリストであり、死ぬことは利益なのです」というパウロの歩みに関心を強めます。そして、パウロが勧めるように「あなたがたには、キリストを信じることだけでなく、キリストのために苦しむことも、恵みとして与えられている」という生き方を正面からとらえているのです。
わたしたちは、何をもってどのように応えるのでしょうか。わたしたちも「キリストのために・・・」といつも言えるものでありたい。