【説教音声ファイル】
2025年1月19日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書25章14節~30節
タラントンのたとえ
梅木 光男
本日の聖書箇所は簡潔で分かり易く平易です。しかし我々が誤解しがちなたとえ話です。結論からいうと我々は神から与えられた生命(宝)をどのように活かすのかがタラントンという例を通じて我々に示されています。このたとえ話は主人が3人の僕にそれぞれ能力に応じて5タラント、2タラントン、1タラントンを与えて旅に出るところから始まっています。重要な言葉は「僕」と「能力に応じて」です。この意味を理解しないととんでない誤解を招くこととなります。またこのタラントンは何を意味しているのかとても関心があるが、主イエスは何も語られていない。ともかく5タラントンと2タラントンを預けられた僕はすぐに出かけていって商売をしてそれぞれ倍にして財を増やした。一方1タラントンの僕はそのお金を地中に埋めてそのまま放置してしまった。
やがて主人が旅から帰ってそれぞれの僕を呼んでその成果を尋ねた。
5タラントンと2タラントン預かった僕はそれぞれ倍にして主人にさしだすと主人は「忠実な良い僕だ。よくやった。お前は少しのものに忠実であったから多くのものを管理させよう。主人と一緒に喜んでくれ」と全く同じように称賛されたのです。ところが1タラントンの僕は主人に対する恐れのために何も活用することなく1タラントンを差し出した。すると主人から「怠け者の悪い僕だ。わたしの金を銀行に預けておくべきだった。」と叱責されこの1タラントンを取り上げられたばかりか外に追い出される結果となったのです。
このたとえ話は大変厳しい言葉で終わっています。ともすれば1タラントンの僕に同情したり、あるいは自分自身の姿に投影して困惑するのでは?
この僕は主人に対する恐れと自分自身に対する自信のなさが結果として何もしないという結論に至ったのです。1タラントンは決して少ない金額ではありません。自分のような小さな者にも神は信頼して預けて下さる。それは主人である神を信頼して失敗を恐れずチャレンジしていくが求められています。しかも主イエスは我々をもはや僕とは言わない「友」だと!