【聖書箇所朗読】
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2024年2月25日説教要約
聖書箇所 イザヤ書55章6~9節
主に任せよ
宗広 一美
今朝与えられています<御言葉>は、イザヤ書55章6~9節です。
イザヤ55章というのは、いろいろ分け方に議論がありますが、第二イザヤと呼ばれている無名の預言者の伝えた<みことば>と考えられています。この時期は、紀元前6世紀のバビロン捕囚というイスラエルの民が都を滅ぼされて他国へ連れ去られた時期の末期と考えられています。すなわちイスラエルの人々は、国を滅ぼされ、土地を奪われ、神殿を失ったどん底の状態にありました。彼らには、何が悪かったのか、良かったのか、どうしてこうなったのか、さっぱり分かりませんでした。まして自分の過ちなど分かるはずもありませんでした。彼らは、お先真っ暗だったのです。
そのような状態にある人々に預言者は、神様からの言葉を伝えました。6節「主を尋ね求めよと。」つまり「神様に聞きなさい。」と促しました。7節“神に逆らう者は、その道を離れ、悪を行う者は、そのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんで下さる。わたしたちの神に立ち帰るならば、豊かに赦して下さる”とあります。
ここでの<御言葉>の中心は、「主に立ち帰る」という<みことば>にあるでしょう。そして「主に立ち帰る」とは、「主にお任せする」ということを言っています。なぜなら私たちには、真に良し悪しの判断など自分では出来ないからです。自分中心にしか考えられないからです。8節9節“わたしの思いは、あなたたちの思いと異なり、わたしの道はあなたたちの道とは異なると、主は言われる。天が地を高く超えているように、わたしの道は、あなたたちの道を、わたしの思いは、あなたたちの思いを高く超えている。”とあります。
ここでパウロの証を聞きましょう。パウロという人は、自分が今まで神様に従って生きて来たと思っていたことが、崩れ、神様の敵であると示された人でした。もうお先真っ暗になりました。ただ出来ることが、あるとすれば、出会って下さった十字架復活のイエス様にすべてをお任せすることでした。そしてそのことは、パウロの全く知らなかった道、主イエス様の十字架復活の愛の道を見出させることになりました。