【聖書箇所朗読】
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2024年1月28日説教要約
聖書箇所 詩篇46編2~12節
主の成し遂げられることとは
宗広 一美
今日与えられています<みことば>は、詩篇46編です。9節からの詩は、わたしは、預言と解釈致します。預言者イザヤの書の2章の4節からにも似たような預言があります。いわく“主は国々の争いを裁き、多くの民を戒められる。彼らは剣を打ち直して鋤とし、槍を打ち直して鎌とする。国は国に向かって剣を上げず、もはや戦うことを学ばない。ヤコブの家よ。主の光の中を歩もう。”です。私は、キリスト者としては、これらの預言をイエス様の示されたところから解釈したいと考えています。
「主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。」から歌われています<みことば>は、当時の民にとって平和を成し遂げて下さることを指しているでしょう。それは、万軍の主と繰り返し強調しているところから、軍事力による平和を人々は、思い描いていたようです。しかし<みことば>は「力を捨てよ。」と語ります。ここの力とは、武力を指しています。そこで当時の民の信仰、すべての武力を治めておられる「万軍の主」を信頼し、委ねよという歌と解釈出来ます。
しかし、イエス様の教えられたことは、武力による平和では、ありませんでした。こう言われています。“「あながたも聞いている通り、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らして下さるからである。”(マタイ5:43~45)と。
つまり父なる神様はすべての人を愛しておられるのだから、互いに愛することを求めなさいと教えられているのです。ここには、イスラエルの神、民族の神様を超えた全人類の神様を父とする愛の教えがあります。イエス様は教えられました。“わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。”と。(ヨハネ15:12節)この愛に捕らえられた者は、イエス様の十字架復活の愛の戒めへと向かわされました。そこには人間の罪のために為すこのと出来なかった「愛する」ということの出来る世界、神様の国への道が示されていました。