【説教音声ファイル】
2020年4月12日説教要旨
聖書箇所 コリントの信徒への手紙Ⅰ 15章20-22節
主は死を討ち果たされた
大野 惠正
「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂となられた」(20節)。
この世界に教会が建てられ、その教会がこの世界に向かって語った第一声は「キリストが死者の中から復活された」という言葉でした。
わたしは今日、教会から任命を受けて、御言葉を宣べ伝える立場に立つ者として、皆さんに、この町の人々に、この国の、全世界の人々に向かって、告げ知らせます。 「キリストは死者の中から復活し、眠りについた人たちの初穂の初穂となられた」のです。
キリストは死者の中から復活したとは、不思議な言葉です。主は眠りについた人々の初穂となられたとは驚くべき言葉です。
私たちは、人はみな死ぬことを知っています。わたしは光武常博さんが教会におられたときのことをよく知っています。知っているだけではない、彼を愛していましたし、大好きな人でした。しかし、今はここには居ません。「光武さん」と呼んでも、光武さんの声は帰ってこないのです。どうしてか。光武さんは亡くなられたからです。そして、信じられませんけれども、わたしもいつの日か死ぬ。それは確かなことです。
短歌を詠って見事な歌人であった島田修二さんに、こういう歌があります 。
「限りなく死は続くべし、ひとつずつ、頭蓋を支え、階くだる人ら」
ラッシュアワーの電車の駅の階段をたくさんの人が降りていく光景を見ながら歌われた歌だと思われます。東京の新宿駅のラッシュアワーを想像していただくと、この歌が良く分かります。たくさんの人が降りて職場に向かう、その果てにあるのは、それぞれの人たちの死だということを、鋭い眼差しで島田さんは見ておられる。
この島田さんにこんな短歌もあります。
「生きたしと願えるわれに計算機の、否(ノ-)と答える時 至るべし」
脳天を撃たれるような歌です。人みんな死ぬと言うだけではないない、生きたいと願っているわたしに、確実に死は訪れると歌っているのです。こう歌った島田さん。この方も二〇〇四年九月十二日に亡くなっています.七六歳の人生でした。
死という事実が人間の過去を埋め尽くしていますし、私たちの前にそれがある。しかもこれくらい確かなことはないという仕方です。
そういう人間世界に向かって、最初の教会はキリストは死者の中から復活されたと叫んだのです。死んだ人たちは眠りについたのであって、キリストの復活という永遠のいのちの初穂に与る、新しい穂になるのだと語ったのです。
最初の教会がそう語ったばかりではありません.中世の教会も、近代の教会も、そして約20億人の人々でなる現代の教会で、これは叫ばれていますし、今日こうして私どもに向かって語られているのです。
「キリストは死者の中から甦られた」。これはどういうことでしょうか。
キリストは死を討ち果たして、わたしたちを死の道に歩むのでなく、いのちの道に向かって歩む者とされたということです。今日は、このことの事実をご一緒に学んで参りましょう。