今日からアドベントが始まります。アドベントとはラテン語から来た「キリストの到来」を意味する言葉です。日本語では待降節と呼び、11月30日に一番近い日曜日からクリスマスイブまでの約4週間をさし、人間世界への救い主の到来、すなわちイエス・キリストのお誕生を指折り数えながら待ち望む日々のことです。イエス・キリストが歴史上お生まれになったのは、約2000年前のことですが、私たちキリスト者は、神様が人間となってこの世に来られたこの救いの出来事を毎年心新たに喜びを持って世々語り継いできました。神様が人間になってこの世界にやってくるなど、人間の理性では受け入れがたいことですが、さらに、イエス・キリストは人類の罪の罰を身代わりになって受けて死ぬという神様のご計画のもとにこの世界に来られました。自分の分身であるひとり子なるイエスを犠牲にしてまでも、神様は人間がその罪のゆえに滅びるのでなく悔い改めて天国に行く道を備えてくださったのです。「神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった、それは御子を信じる者がひとりも滅びないで永遠の命を得る為である」(ヨハネによる福音書3章16節)と書いてあるとおりです。私たちがこのキリストを自分の救い主として受け入れる時、イエスの別名インマヌエル(神われらと共にいます)が私たちの心に実現し、まことのクリスマスになります。
今日選びました聖書箇所は、赤子として生まれたイエスが30年後、大人となって人々の前に公の活動を始められたばかりの頃、自分の生まれ育ったナザレの村に帰られた時の出来事です。イエスはいつも安息日(土曜日)にそうされたように、会堂にはいり礼拝を守られました。巡回説教者としてのイエスに聖書(旧約)のイザヤ書の巻物が手渡されたので、61章の箇所を読まれました。その後、「この聖句は、あなたがたが耳にしたこの日に成就した」と説き始められました。私はこの聖書の箇所を読むたびに、喜びと感動が心の底から湧き上がってきます。ついに神の子、救い主が人間の世界に来られたのだと、実態をともなってせまってきます。イエスの言葉は、神の子だからこそのの宣言です。しかし、故郷の人々は、小さい時からのイエスを知っていたがゆえに、自分を神の子と救い主と宣言するイエスを受け入れることはできませんでした。私たちは聖書を読むとき、自分を神と同じものと称するイエス様の宣言の一貫性、それに伴う奇跡を起こす力、人間の知性をはるかに超えた言葉の斬新さと真実性、真理とおもいやりと力に満ちたかずかずの言葉にこころを奪われます。自分の常識という色眼鏡をかけずに、イエスの言葉を素直に受け入れる時、私たちは、自分の心の中から喜びが沸々と湧いてくるのを体験します。聖書の言葉は人間がでっちあげで書けるようなものではないこと、真理に満ちているということがわかってきます。そのイエスを神の子として素直に受け入れる時、私たちの心に奇跡が起こり、まことのクリスマス、イエスの誕生がおこるのです。
2014年11月30日 梅木幸子説教要旨