【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年4月13日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書23章44~49節
信じるからこそ
原田 寛
ルカ福音書23章44節以下は「イエスが十字架にかけられて死んだ」ことを記しています。
ここに登場するのが、ローマ帝国軍の百人隊長です。彼はこの出来事を見て「本当に、この人は正しい人だった」と述べます。この出来事というのは、「イエス・キリストの十字架刑にかかわる事柄」を指して述べられているように思われますが、主イエスの生涯を鑑みて述べられているとも考えられます。この言葉は、使徒言行録で「聖なる正しい方を拒んで、…」(3章14節)に通じます。マタイとマルコは「本当にこの人は神の子だった」と語ります。
「死」という事柄は、これまでの人生を振り返ることで、この後の新しい人生はないということを表します。「死」を通して、この人はどんな人だったかを振り返ることができ、評価が確定するわけです。福音書記者は、百人隊長の言葉を借りて、イエス・キリストがどんな方だったのか、一言で表しているのです。
百人隊長は、ローマ帝国軍の規律の中で歩んでいます。その規律は、述べられた命令は、必ず行わなければならないというものです。ルカ7章では、百人隊長の僕が「主の言葉」を命令のように述べられるだけで遠い所にいるのに癒されます。百人隊長自ら、その信仰と姿勢を表し、イエスは、その信仰を大きく評価したことが記されています。
7章の百人隊長と十字架のイエスを見ている百人隊長が同一人物なら、彼は、イエス・キリストを信仰の対象としてとらえていた。ゆえに、語ったともいえます。福音書において百人隊長は、単発的な登場にすぎませんが、ローマ帝国軍の百人隊長としての役割を考えるなら、ユダヤの治安に対するローマ帝国軍の責務を担う者として、イエスの存在を知り、調査していたとも考えられます。イエスは、ローマ総督ポンテオ・ピラトの判決を受けて十字架に着けられました。この百人隊長が、この地の最高位を託された上司の判決をよそに、「正しい人だった」と述べたことに大きな意味があります。
百人隊長は、信仰ゆえに語ったと考えるなら、ローマ帝国内への教会の働きに欠かせない存在になったことでしょう。この百人隊長が、使徒言行録10章にある百人隊長コルネリウスであるならば、ペトロや他の使徒たちと出会い、パウロと出会い、多くのユダヤ人キリスト者や異邦人キリスト者と出会い、そして、主は復活して「今も生きて働きたもう」という信仰を熱くする出来事に向き合い、共に経験したことでしょう。
彼は、主イエスに向き合ってイエスを神の子と「信じるからこそ」、十字架の死に至るまで従順に歩まれた主イエスを「正しい人だった」と言えたのでしょう。
私たちも同じ信仰に立って、御言葉に学びつつ、主に信頼して歩みましょう。