日本はかつて15年間に亘って、周りの国々を侵略し、戦争をしてきました。その残虐極まりない戦争が終わって69年が経とうとしています。「再び戦争は起こしてはならない」、これが戦争を起こした日本国の守るべき立つ位置だったのですが、改憲を唱える勢力の増大により、現在日本の将来は大きな岐路にあると言えます。
私は、69年前に戦争が終わったとき、2歳7ヶ月でした。ですから、殆ど戦争の記憶はありません。戦争は直接知りませんが、戦争に関してとても怖い思いをした記憶があります。私の父は、私が生れる6、7年前に召集され、中国戦線に送られ、幸いに生還しましたが夜になると毎晩のようにうなされていました。その声はそれまで聞いたことのない恐ろしい悲鳴でした。隣の部屋に寝ていた私たち子供は、その声で目が覚め震えながら、父が静まるのを待ちました。何か得体の知れない怖さでなかなか寝付けませんでした。あるとき、母にどうして父があんなにうなされるのかを聞きましたが、戦場で何か恐ろしいことがあったのだろうとしか言いませんでした。
私は中学生になり、南京事件のことを知るようになりました。それは、日本軍が中華民国の首都南京を占領した際、投降した中国兵と多くの一般人を殺した「南京大虐殺」と言われる事件のことです。そして、その事件が起きた1937年に父が南京にいたことを知るようにもなりました。父は南京大虐殺事件のことは死ぬまで一言もしゃべりませんでした。きっと父は何らかの形で事件に関わっていたのだろうと思います。殺人を犯したのかもしれません。何十年経ってもうなされ続ける父の姿を見るのは辛いことでしたが、父自身は心に傷を負ったままで死ぬまで苦しんだと思います。戦争とは、このようにとっても痛ましく残酷なものなのです。
聖書は、イスラエルの民が何千年にも亙って罪を犯し失敗を繰り返していることを、隠すことなく記しています。人間が、いかに弱く罪を犯しやすい存在であるかを知って、過ちを繰り返さないように皆で聖書を学び、過去の失敗の歴史を子孫に伝えていかなければなりません。私たちクリスチャンは、神の前に、国と国民のために執り成し祈り続ける祭司としての責任が与えられています。真実の平和は、そのような祈りの人々を通して実現していきます。キリストの迫りが強くなると、執り成しは世界の国々に広がっていきます。私たちは日本の将来が神の御心に添う方向に進むように、国家の働きを見守り、共に執り成しの祈りを続けていくことが必要です。平和をつくり出す一人一人として共に歩いてまいりましょう。
「平和をつくり出す人たちは幸いである。彼らは神の子と呼ばれるであろう。」(マタイによる福音書5章9節)
2014.5.25 岩橋隆二牧師