【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年4月20日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書24章13~35節
心が燃えた
原田 寛
「心が燃えた」…ふたりの弟子が、なぜこの言葉をのべたか、その理由を考えましょう。
死んで葬られた翌々日の朝、それは日曜日でした。葬られたイエスの亡骸に香油を塗るためにお墓に行った女性たちは、イエスが復活したことを弟子たちに報告しました。ふたりの弟子は信じられず、エルサレムを脱出しました。ふたりは、この出来事を語りながら歩いていました。そこに、復活されたイエス様が同行されました。ふたりはそれがイエス様だとは判りませんでした。イエス様の方が、ふたりの話を聞き、「ああ、物分かりが悪く、心が鈍く預言者たちの言ったことすべてを信じられない者たち、」とふたりが抱えている事柄を理解し、聖書を通して説明されたのです。
そもそも弟子たちは、イエス様がゲッセマネの園で逮捕され際に逃げ出したのですから、復活したイエス様から御言葉を学ぶなどは、考えられないことでした。福音書を振り返ると、イエス様は、三度、十字架にかけられて死に三日目に復活されることを弟子たちに語っていました。一度目は、ペトロが主イエス様を「神からのメシアだ」と告白した時でした。ペトロの篤い思いがこもった言葉に、他の弟子たちも共感したのではないでしょうか。そんな盛り上がったところで、イエス様は、「人の子は必ず多くの苦しみを受け、長老、祭司長、律法学者たちから排斥されて殺され、三日目に復活することになっている」と述べます。二度目は、山上の変貌の後、山を下りた時でした。弟子たちは悪霊にとりつかれた子どもを前に、何もできないでいました。イエス様は、そんな弟子たちを叱りつつ、霊を追い出された後、「人の子は人々の手に引き渡されようとしている」と述べます。三度目は、いよいよ最後の時を迎えようとエルサレムへ上っていく途中「人の子について預言者が書いたことはみな実現する。人の子は異邦人に引き渡されて、侮辱され、乱暴な仕打ちを受け、唾をかけられる。彼らは人の子を、鞭打ってから殺す。そして、三日目に復活する」と。弟子たちには、語られた意味がわからなかった。
わからないまま、主イエスの十字架の事柄が、見えるところで繰り広げられたのです。エマオ途上の二人の弟子は、エルサレムを逃げ出したのでしょう。しかし、弟子たちは、共にいてくださり聖書から神のみ旨を解いていくイエス様に、親近感を覚え、もっと話を聞きたいと願うようになり、宿にいっしょに泊まってほしいと願ったのでした。復活されたイエス様は、宿を共にし、いつもしているようにパンを取って、讃美の祈りを唱えて裂きてお渡しになった時、ふたりの弟子は、これは主イエス・キリスト様だと分かったのです。その時、ふたりは、「道々話しておられる時、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えたではないか」と分かち合うのです。
そして、即座に考えました。このことは他の弟子たちに報告したいと。即、行動して、エルサレムに戻り、他の弟子たちと、心を開いて、復活の主イエス様のことを分かち合ったのです。
私たちにも、自分自身が心を熱くした経験があります。復活の主は共にいてくださるからです。それは、弟子たちと同様にすばらしいことです。今日も、そのような経験を「証」して分かち合っていきましょう。