ベツレヘムの郊外では羊飼いが、羊の番をしていました。羊飼いは、昼は羊に草を食べさせ、夜は野宿。泊まる家はありません。その夜も、羊飼いは夜通し羊の番をしていました。すると突然、天の使いが羊飼いのそばに立ち、辺り一面真昼のような輝きになりました。羊飼いは恐ろしくて震えるばかりです。天の使いは、そんな羊飼いに言いました。ルカ2章10節です。「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える」。突然天使が来て、辺り一面が真昼のようになり、もうそれだけで羊飼いたちは驚いたでしょう。最初は何が何だか頭の中は混乱して、ただ恐れるばかりだったに違いありません。しかし、天使が去って後、少し冷静になり、救い主の誕生を誰よりも一番早く知らされたことを思い出した羊飼いたちは、もう天にも昇る思いになったことでしょう。なぜルカは羊飼いを最初に福音を知る者としたのでしょうか。その意図は何でしょうか。羊飼いは、当時、一番下層の虐げられた民でした。恐らく周りの人たちに対してびくびくしながら、ある意味恐怖を覚えながら生活していた人たちだったと思われます。天使が羊飼いに言った「恐れるな」と言う言葉は、突然福音を伝えられたことによる驚きに対する労りの言葉と同時に、これまでのいわれなき虐げにたいする神の憐れみの言葉だったと私は思うのです。
皆さんの恐れとは何でしょうか? 聖書はどのように言っているのでしょうか。聖書語句索引コンコルダンスを開きました。「恐れ」「恐れる」という項目だけで、関係箇所が100数箇所ありました。ここを丹念に見ていくことによって、真に「恐れる」ものが何であって、「恐れる必要のない」ものが何であるかが、明確にわかります。
ヨシュア記1章9節「わたしはあなたに命じたではないか。強く、また雄々しくあれ。あなたがどこに行くにも、あなたの神、主が共におられるゆえ、恐れてはならない。おののいてはならない」。私たちが弱った時、このみ言葉によってどれだけ強められたでしょうか。詩篇19章9節「主を恐れる道は清らかで、とこしえに絶えることがなく、主のさばきは真実であって、ことごとく正しい」。箴言9章10節「主を恐れることは知恵のもとである。聖なる者を知ることは、悟りである」。マタイ10章26節「だから彼らを恐れるな。おおわれたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない」。ルカ12章32節「恐れるな、小さい群れよ。御国を下さることはあなたがたの父のみこころなのである」。小さい群れとは、教会の私たちキリスト者のことですが、わが主イエス・キリストに従順に従いゆけば、天の御国が約束されていることが言われています。
イエス様はこの地上に来て下さって、私たちに「恐れるな」「恐れなくていいんだよ」とおっしゃっています。神以外のものに対しては恐れなくて良いとおっしゃっているのです。この世のどんな理不尽なことがあろうとも、私が伴っているではないか、そうおっしゃっているのです。これ以上の励ましがあるでしょうか。これ以上のクリスマスプレゼントがあるでしょうか。そして、私たちの生きる基準は、神の言葉だとおっしゃっています。聖書は一貫してその神を敬い畏れよと言っています。
2014.12.21 説教要旨 牧師 岩橋 隆二