【説教音声ファイル】
2024年7月7日説教要旨
聖書箇所 ヨハネによる福音書15章18~27節
新たな思い
原田 寛
小見出しには、「迫害の予告」とあります。イエスは。最後の晩餐の際、弟子たちにこのようなことを伝えていたのですね。しかし、その内容は、「世があなた方を憎むなら、あなたがたを憎む前にわたしを憎んでいたことを覚えなさい」「わたしがあなたがたを選び出した。だから、世があなたがたを憎むのである」と伝えます。イエスが弟子たちと同じ立場であること、しかし、世は異なるのだと示すのです。イエス・キリストの名のゆえに、世は迫害するようになるということです。迫害される弟子たちに、迫害する者たちはあなたがたを憎むがそれはイエスをも憎み、そして、イエスをお遣わしになった父なる神をも憎むことになるといいます。
憎まれることも迫害されることも受け入れがたいことです。しかし、弟子たちにも、イエスを救い主と信じる私たちにも聖霊が注がれています。聖霊は、弁護者であり真理の霊です。信じる者たちに、イエスについての証を現わしています。信じる一人一人は、罪から贖われ救われ、新しくされて父のもとにあるのです。
信仰を持った人は、救われた喜びを持ちます。その喜びは、その人の歩みの中にあふれ出てくることがあります。そういうことに対し、周りの人たちから「何か感じが変わった?」と言われることがあります。信仰ゆえに印象が変わるということです。それだけではない、御言葉に味付けられた、発言、行動があるわけですから、「変わった」という印象は当然なのかもしれません。
イエスを信じるようになり「新たな思い」が生じているということです。それは、当人にも周りの人にも「新た」なことです。信じる者が受け入れている「新たな思い」は、周りの人には受け入れ難いことなのかもしれません。周りの人は、イエスを知りませんし、イエスをお遣わしになった父を知らないからです。かつては「世」に属していた私たちは、その時のことを知っています。だからこそ、信じる者たちにそそがれた聖霊の働きは「証」をするのです。