【説教音声ファイル】
2018年6月17日説教要旨
聖書箇所 ヨハネの黙示録2章10節
「死に至るまで忠実であれ」
瀬戸毅義
私は16歳のとき県立高校の一年生でしたが、バプテスマ(浸礼:バプテスト教会の云い方)を受けました。入信まで導いてくださった宮地治牧師からお祝いにいただいた聖句がこの言葉でした。1956(昭和32)年12月22日の夕礼拝でした。後で調べるとそれはヨハネ黙示録2章10節にある言葉と知りましたが、いただいたのは2章10節全体であったかどうか覚えていないのです。しかしこの聖句を頂いたのはとてもよかったと感謝しているのです。この聖句はしばしば私が辛い時に励ましを与えてくれたのです。ヨハネの黙示録は西暦90年から96年頃に記されました。当時はローマの皇帝ドミチアヌス(Domitianus/在位 81~96)の時代でした。彼は特にキリスト教徒を弾圧したことで知られています。これは弾圧の時代に書かれた「殉教文学」とも言えるものです。それ故、時代は違ってもヨハネの黙示録は、迫害や艱難のなかに苦しむ者を慰め励ますのです。「あなたの受けようとする苦しみを恐れてはならない。見よ、悪魔が、あなたがたのうちのある者をためすために、獄に入れようとしている。あなたがたは十日の間、苦難にあうであろう。死に至るまで忠実であれ。そうすれば、いのちの冠を与えよう。」とありますが、「十日の間」とは実際の十日ではなく「しばらくの間」の意です。
全体としてヨハネの黙示録はローマ帝国の下迫害にさらされているキリスト教会に対し、さまざまな表現を使いつつバビロン(ローマ) の陥落,キリストの再臨、キリスト教会の最後的な勝利、サタンの敗北、新しい天と地との出現を述べつつ、希望を固く保ち苦しみを克服するようにと励ましているのです。
「主イエスよ,来りませ」という結びの言葉にはアルファでありオメガである、輝く明けの明星としてのイエス・キリストの再臨への希望が強く表明されています。著者は使徒ヨハネ、長老ヨハネ、或いはまったく別の人物とするものなど諸説があります。
「死に至るまで忠実であれ。」(口語訳、新共同訳)は他の翻訳ではどうなっているかを手持ちの聖書で調べてみました。
「汝死に至るまで誠(まこと)なれ」永井直治「新契約聖書」1926(昭和3)年。
「爾(なんじ)死に至るまで忠信(ちゅうしん)なれ」「新約全書」1887(明治20)年。
「忠」は心の誠意、「信」はことばの誠意です。真心がありうそ偽りのないこと。(『漢字源』)。
ラゲ訳(1910/明治43年)も日本正教会訳(1908/明治41年)も忠信としています。
「なんじ死に至るまで忠實(ちゅうじつ)なれ」「新約聖書」1916(大正6年)。口語訳、新共同訳は大正訳に従ったのでしょう。ギリシャ語ではわずか4字です。ある英訳聖書(The New English Bible)ではOnly be faithful till deathと簡潔明瞭です。
私はこの言葉「忠実なれ」を「信仰を捨てるな、持ち続けよ」の意味であると思ってきました。62年経ちましたが、今も若い日にいただいた信仰を有難く思っています。私の決心が固くて持ち続けることができたのではないのです。実に神様が忍耐深く守って下さったからだと思っています。「忠実であれ」と言われるお方が、先ず私に忠実であってくださったのだと思うようになりました。感謝であります。どうぞ皆様も信仰を大切になさってください。キリスト教は難しいものではありません。「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(使徒行伝 16:31)。キリスト教はこの聖句に尽きると思います。