【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2022年7月10日説教要旨
聖書箇所 ヘブライ人への手紙 第12章1~3節
決められた競走
福岡新生キリスト教会
竹田 浩
「自分に定められている競争を、忍耐強く走り抜こうではありませんか」(ヘブライ12:1)
私達の信仰人生は神様の定めて下さった競走を走り抜く事に似ています。私達は自分の人生を自分で勝手に決める事は出来ません。
1、多くの証人に囲まれつつ
私達は自分に与えられた信仰人生を競走として走り抜いて行くのですが、聖書ではただ一人で走るのではなく、多くの証人に囲まれながら走ると記されています。私自身の事を考えてみても、今日までどれぐらい多くの素晴らしい信仰の証人に助けられ、励まされて、今日ここまで来ることが出来た事でしょう。いつも、祈りの中でそれらの証人に心からなる感謝を捧げています。
2、重荷と罪を捨てながら
私達が信仰の馳場を走り抜こうとする時に、重い荷物を持っていたのでは走り抜く事が出来ません。ですから罪や重荷をイエス様の十字架のもとに持って行き、とって頂かなければなりません。イエス様は重荷を負って苦労している者は私のもとに来なさい。そうすれば休ませてあげようと仰いました。日々祈りの中で罪を悔い改め重荷を取り去って頂いて、信仰の競走を走り抜いて行きたいものです。
3、 忍耐強く走り抜こう
長距離競走を走ってみると分かりますが、途中できつくて止めてしまいたくなります。しかし、賞を得る為には最後まで忍耐して走り抜かなければなりません。私達の信仰生活は何十年に及ぶ長距離競走の様なものです。私も19歳の時にバプテスマを受けてクリスチャンになり、今は81歳ですから62年間クリスチャンとして生きて来た事になります。途中ではあまり荷物が重たくて、この競走から逃げ出したくなる時もありました。けれども神様の励ましと多くの兄弟姉妹達の助けを受けて、今日の日まで60年に及ぶ信仰生活を続けることが出来ました。
4、 イエス様を見上げつつ
それでは、どの様にして忍耐強く走り抜く事が出来るでしょうか。その為には信仰の創始者であり、また完成者であるイエス様を見つめながら走ると言う事が大事な事です。イエス様は私達に信仰を与えて下さっただけではなく、完成に至らせて下さるお方です。日々、イエス様を見上げながら祈りつつ信仰生活をする時に完成に向かって近づく事が出来るのです。私達のために十字架にまでついてくださったイエス様を見上げる時に、天より忍耐する力が与えられます。この様に、最後まで立派に走り抜いて信仰の競走の勝者となられる事を祈ります。