2017年9月10日説教要旨
瀬戸毅義
私ごとになりますが。6月9日より2か月余り入院しました。その間教会の友人をはじめ教会の方々から温かい御配慮とお祈りをいただいたことは忘れることはできません。本当に有難うございました。この場を借りて改めて感謝を申し上げます。今朝は2ケ月余りの間私が病床の中より頂いた恵みについてお話をさせていただきたいと思います。聖書の箇所はフィリピの信徒への手紙1章21節です。私は病床でこの聖句のことをいろいろ考えさせられたからであります。
さてこの手紙は獄中で書かれた手紙であります。フィリピの教会はパウロが伝道したヨーロッパ最初の教会でした(使徒16:12-40)フィリピの教会はパウロが開拓した教会の中で最もパウロに対して親愛の情を表した教会でした。
そのパウロはエフェソの獄に鎖に繋がれた身でありました。フィリピの教会は心配しエパフロディトに金品を託してパウロを見舞いました(フィリピ2:25,4:15-18,2コリ11:9)。パウロの世話をしたエパフロディトが大病に罹りました。フィリピの教会がエパフロディトを心配していると知ったパウロは手紙を持たせて彼を送り帰すことにしました。これがこの手紙が書かれた事情です。紀元50年代の中頃のことでした。さてパウロが獄中にあったことに注意を向けましょう。当時の監獄の状態は酷いものでした。囚人は鎖をつけられました。手を鎖で首に固されることもありました。またある時は木製のさらし台(wooden stocks)に手足や首を固定されました(言行録16:24)。監獄は窓が無く薄暗く風通しも悪い状態でした。ハエ,シラミ,ゴキブリ,ネズミなどが這い回る極めて衛生状態の悪いものでした(ハーパー聖書辞典)。注意すべきはこの手紙に「喜ぶ」という言葉が17回も出てきます(口語訳)。あなたがたは、主にあっていつも喜びなさい。繰り返して言うが、喜びなさい(4:4)。
私は絶対安静の病床であっても教えられたのは、クリスチャンであることの恩恵でした。それはこのパウロの言葉を通してでした。クリスチャンには万事は感謝であり喜びです。役に立たない人間は一人もいません。皆さんもご自分を大切になさってください。自分の人生の主人公はイエス・キリストです。たとえ獄中に鎖に繋がれる身とはなってもパウロの人生の主人公はイエス・キリストでした。
「わたしはあなたたちの老いる日まで、白髪になるまで、背負って行こう。」
イザヤ書46章4節