2018年4月22日説教要旨
聖書箇所 マルコによる福音書2章13節~17節
罪人を招くために
梅木 光男
本日の箇所は共観福音書すべてに記載されているレビの招きで、マルコ福音書2章のところから「罪びとを招くために」と題して考察してみました。 ガリラヤ地方で宣教活動を始められた主イエスは、神の御子として救いの業の実現に向けて、病人たちを癒し、その他多くの奇跡をおこなっておられます。 そうした中で、それらの奇跡に驚いた人々が御言葉を聞こうとして集まっている場面です。そのとき収税所に収税人レビが座っているのに目をとめられた主イエスは、他の弟子たちと同様「わたしに従いなさい」と彼に声をかけられました。レビは立ち上がってすぐイエスにしたがったばかりか、彼の家に多くの収税人と罪人並びに主イエスと弟子たちとを招き、共に食卓を囲んだと聖書は記しています。その光景を見たパリサイ人や律法学者たちは当然非難します。なぜなら彼らが遵守している神から与えられた律法に違反しているからです。これに対し主イエスは、まさに主イエスの思想と行動を総括する有名な17節の言葉「私が来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである」を宣言されています。この言葉は当時の宗教的社会的価値基準を見事に逆転させています。罪人とみなされた人々にとっては、まさに「福音」であり、自らを「正しい」と思っている人々にとっては厳しい批判そのものだからです。神を重んじることは、すなわちイエス・キリストにおける神の言葉と働きを重んじることなのです。その根本には「イエスこそ救い主である」という信仰があるかどうかが問われています。
ここで考察するもう一つのことは「食事」の意味です。この「食事」は2つの儀礼的意味を示しています。ひとつはあの「過越の食事」を想起させるということです。「過越の食事」はユダヤの民が最も大切に守ってきたもので、いわば信仰の根源をなすものなのです。もうひとつはメシアが来臨し神の国が実現したときに聖宴を開かれるという信仰です。主イエスが招く食事はこの二つが相まって祝福されるのです。
さあ我々も恐れることなく主イエスの招きに与りましょう!