【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2018年8月12日説教要旨
聖書箇所 ルカによる福音書15章1~7節
「見失った羊のたとえ」
梅木 光男
本日はルカ福音書15章から「見失った羊のたとえ」を取り上げました。ここのたとえは「モノ=羊」「カネ=銀貨」「ヒト=放蕩息子」の3部作の前半部分です。日常生活で欠くことのできないものをたとえで示しながら我々が抱く価値観と全く正反対の価値観を主イエスは示しています。それは結論的に言えば「小さな命の大切さを知る」ということです。作家の塩野七生さんはこの箇所を「迷える子羊を探すのは宗教、小説の問題で、99匹の安全を考えるのは政治経済、歴史の問題」であると記しています。主イエスのたとえは本来聴衆あるいは読者に対する問いかけです。主イエスは我々にその答えを求めておられるのです。律法学者等に差別されていた罪人にとって、最大の福音であるとともにパリサイ人らにとって痛烈な皮肉・批判でもあるのです。
聖書の御言葉をどのような立場で読み取るかによって、その理解は大きく異なります。
主イエスは助けを必要とする弱い小さな存在に常に目を留められます。
今経済合理性の論理ですべてが主導されている傾向が顕著になっています。
日本国憲法にさえ「基本的人権の尊重や生存権、思想信条の自由」などが規定されているのも関わらずその土台が徐々に崩壊しています。
主イエスは我々に迷える羊を探して欲しいとは言われていません。ただ喜びを共有してほしいと言われます。羊を見つけるためにはどんなに心配し苦労して見つけたか、その喜びを通して初めて神の愛が理解できるのです。私たちもこのキリストの喜びを自分のものとして生きようではありませんか。