梅木幸子
ホームレス支援・NPO法人「美野島めぐみの家」のボランティア活動にかかわりを持って、早15年以上経過しました。きっかけは、今では同じ教会員になっていますが、瀬戸紀子姉の地方連合の皆様にホームレスのクリスマス会のために、おにぎりを差し入れてほしいという呼びかけでした。あっという間の15年でしたが、振り返れば、神様の素敵な配慮と祝福に満ちた年月でした。本日はその恵みを教会員の皆様と分かち合いたいと思います。
始まりは、1994年、カトリック福岡教区が社会的弱者を支援するために、美野島司牧センターを設立しコース・マルセル神父を責任者として任命されたことだとお聞きしています。「美野島めぐみの家」がその活動場所としている美野島司牧センターは、今も外国人出稼ぎ労働者の支援や、薬物依存者のリハビリ活動を支援する「九州DARC」,又、ホームレスを支援する「福岡おにぎりの会」などの活動拠点となっています。私がかかわりを持ち始めた2003年冬は、「美野島めぐみの家」はまだ「衣類バンク」という名で、「福岡おにぎりの会」から独立して、ホームレスの方々の為に、中古衣料とわずかばかりの食事を提供していました。主婦ですから、夜回りをして支援する「おにぎりの会」活動は難しいけれども、週に1度昼間の活動なら私でも参加できると思いました。その頃、来場者は200人弱ぐらいで、食事の内容も分量もきわめて貧しく、衣類も集まった中古衣料をどうにか希望者に配布できる程度でした。少しでも瀬戸さんを手伝えればという思いから、会計を引き受けたのがきっかけで、2007年に「美野島めぐみの家」として組織を整えて再スタートした時からは役員として関わることとなりました。その年発足した九州ホームレス連合に「美野島めぐみの家」も加盟したことをきっかけにして、グリーンコープ生協やセカンド・ハーベストから支援を受けるようになり、以後急速に支援者の輪も広がっていき、また、並行してホームレスの数も急増していき、2009年のリーマンショックの頃は1回の来場者が300人を越えました。「美野島めぐみの家」はその年NPO法人となりました。翌年以降、生活保護支給が受けやすくなったり、自立支援のための様々な働きが進み、ホームレスの数は年々減少していき、約10年後の昨年は、1回の来場者数が60人台まで落ち込みました。何と、今までは来場者のうち野宿者の数の方が圧倒的に多かったのが、昨年は野宿者と生活困窮者がほぼ同数になってしまったのです。今年度、来場者数が再び増え始めました。しかし、今度は生活困窮者の方が多くなってきました。このままいくと、そのうち、ホームレス支援という看板を下ろさなければならなくなるかもしれません。さて、これまでの概要を説明するのが長くなってしまいました。これからが本題です。
「あなたがたのうちに働きかけて、その願いを起こさせ、かつ実現に至らせるのは神であって、それは神のよしとされるところだからである。」(ピリピ2:13)とのみ言葉のように、ある人々の心にホームレスを支援したいという願いを起こさせ、それに必要な場所、人、物を配材されるのは神であるとの思いを強くしています。導かれて来られたボランティアにお一人一人が、ホームレスの方々への優しい心をもって、それぞれの持てる力や才能を発揮して、「美野島めぐみの家」の活動、成長、存続の為に必要な力を出してくださいました。又、直接ボランティアとしてではなくても、定期的に支援物資や支援金を送り続け、支え続けて下さる幾多の方々がおられました。そのみんなの活動を通して、この16年間に延べ11万人を超える人々が、「飢えたときに食べさせてもらえ、のどが渇いたときに飲ませてもらえ、裸の時に着せてもらえ、病の時に薬をもらったのです」。関わることで何一つ得となるものは無い中、この方々は無償の愛を提供されました。何と清い魂をお持ちのことだろうと感服します。ボランティアに来られた多くの方々が、精神的に疲れた状態で来ても、ボランティアをすることによって、自分たちが癒され元気になったということをよくお聞きします。人のために自分の持てるものを無償で提供しようという人々のうちには、神様が働かれて、神様の愛と平和に満たされているうちに、元気になられるのではないかと思います。
昨年から、うれしい変化がいくつか起こりました。実は昨年4月から、1年間の公園での炊き出しを経て、新しく建て替え終わった美野島司牧センターでの活動を再開したのですが、私たち「美野島めぐみの家」や「福岡おにぎりの会」など、美野島司牧センターの部屋を無償で使わしてもらっているいくつかのボランティア団体が、宗教法人としての美野島司牧センターの働きの一部であることを証明するよう働きかけが税務署からあったというのです。ホームレスへの炊き出しを含め、すべての団体の奉仕活動そのものが極めてキリスト教的であると私たちは思うのですが、税務署にはそれでは通じないようで、部屋にキリスト教的絵をかけたり、聖書研究会などを開く計画を立てたりしました。その一環で、今まではボランティアにはクリスチャンでない人も多数いるため、なるべく宗教色を出さないように配慮されていたのですが、めぐみの家の活動の最初と最後をお祈りで始め、お祈りで終わることになりました。又、公園での炊き出しをしていた期間を含め、しばらくの間炊き出しのボランティアに来ていた一人のクリスチャンの姉妹の働きがきっかけで、美野島司牧センターの炊き出しに集う野宿者や生活困窮者の中から求道者が起こされ、昨年度は、カトリックの神学校に入る準備をしている一人の神学生がその姉妹の働きを引き継ぎ、聖書の学び会をされていたのですが、この4月正式に神学生となり、もう炊き出しに来ることができないとのこととなり、私が急遽、2月くらいから聖書の学び会を毎週炊き出しの後1時間くらい担当することとなりました。毎回、5~6人くらいの方々が目を輝かせながら聖書の学びを楽しみにしておられる姿に接しますと、神様の御業の不思議さを思います。美野島では、弱い立場にある人々にキリスト教を押し付けることになってはいけないという配慮からか、クリスマスとイースターの時だけは短いメッセージが語られていましたが、その他の時はなるべく宗教色を出さないように配慮されていました。何人かのクリスチャンの方々からは、「肉体の糧を提供しても、魂の糧を提供しないのはおかしいではないか」という言葉を聞いたこともありましたが、美野島司牧センターでは、いろんな人が活動できるように宗教色を出さないことが、方針なのだと理解していました。しかし、ある姉妹の大胆な働きによって、又、その跡を継ぐ神学生を起こされ、又それが私につなげられ、毎週の聖書の学び会が開催されることになり、マルセル神父様もそれを喜んでおられることを知り、すべてが神さまの御業であると思わされています。神さまが人と機会を用いられるのです。この美野島司牧センターでの聖書の学び会がこれからも祝されて、多くの人が聖書のみ言葉を聞くチャンスが与えられ、又求道者の一人一人がそれぞれにふさわしい教会に導かれ、イエス様に出会いバプテスマに至りますよう、皆様にも祈っていただけたら嬉しく思います。どうぞよろしくお願いいたします。