【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年11月9日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書6章12節
負い目をゆるしてください
原田 寛
主の祈り「わたしたちの罪をおゆるしください わたしたちも人をゆるします」を共に考えたいと思います。
聖書辞典によりますと「罪」(ヘブライ語「ハッタート」)は、違反という意味があり、神に対する反逆を指しているとのことです。そして、それは、アダムとエバのお話(創世記3章)において明確に表されており、アダムとエバの違反により、「罪」がすべての人に入り、人は死の支配のもとにおかれることになったということでした。
主の祈りは、マタイ福音書の「負い目」を「罪」と言い換えています。「負い目」は、自分に非があることを認めて、後ろめたい思いをもつことです。アダムとエバは、善と悪に対し目が開かれて神の前から身を隠しました。それは、神に対して罪を犯し、負い目をもち、後ろめたいからでした。このお話は、すべての人は、アダムとエバのこの罪によって死ぬことになったことを示しています。私も含めすべての人は、神様に対して負い目をもっているということです。
福音書は、主イエス・キリストをバプテスマのヨハネに「見よ、世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1章29節)と紹介させ、わたしたちの罪を贖う業を完成させる主イエス・キリストの十字架の死と三日目の復活を示して、神の愛といつくしみを表します。わたしたちは、神に対する罪を示され、罪を認め、悔い改めて、神に立ち返った者です。私たちは、主イエス・キリストの歩みを知り、その意味をこころに深くとらえていくためにいつも、「わたしたちの負い目をお赦し下さい」と祈ります。
そして、『主の祈り』は、私たちの罪の赦しだけでなく、「わたしたちも人を赦します」と祈ります。マタイ福音書は、「わたしたちも自分に負い目のある者を赦します」と祈ります。これは、自分が受けている神の恵み(罪の赦し)を認め、人々の罪を赦すという意味になります。わたしたちだけが神の恵みに預かればよいということでなく、すべての人が神の恵みの下にあるのだということから、「私たちも人を赦します」と祈るのです。
「神のみこころが天で行われるとおり、地にも行われますように」と祈るのは、自分自身に与えられていることがまさに「地」で行われていることであり、もっともっと展開していくべきことなのだという信仰の祈りです。教会の業が拡がっていくことを求めています。
![]()






