聖書箇所:ヨハネ16:25~33 説教題:「しかし勇気を出しなさい」
牧師 岩橋隆二
今日の説教題は「しかし勇気を出しなさい」です。今日の説教箇所ヨハネ16:25~33の最後の節33節に記されています。岩波訳では「私のうちにあって、あなたがたに平和があるようにと、これらのことをあなたがたに語って来た。世にあって、あなたがたには苦しみがある。しかし、勇気を出せ。私は世に対して〔すでに〕勝利をおさめたのだ」。原語では「勇気を出せ!」という強い命令形になっています。
会堂を追放され、命の危険さえ感じているようなすべての弟子たちに、「私のうちにあって、あなたがたに平和があるようにと、これらのことをあなたがたに語ってきた」とイエスさまは語られました。ご自身こそこの世における孤独と苦難に中にあってもなお、勇気を失わずに生きていくための命の光であることを、弟子たちに伝えているのです。
「世にあって、あなたがたには苦しみがある。しかし、勇気を出せ。私は世に対して〔すでに〕勝利をおさめたのだ」。イエスさまは弟子たちに「世にあって、あなたがたには苦しみがある」と告げます。世に勝利したお方を信じるとは、苦難がなくなることではありません。苦難のただなかで、なお勇気を出して生きることだと知るのです。
実は私たちにとって、最も「不安」なことは、最も「恐れ」を抱いていることは、「孤立」するということではないでしょうか。高齢者一人暮らしの方の「孤独死」という言葉を聞くことが日常的になっています。「ひとりぼっち」を表す言葉として「孤独」「孤立」があります。その違いは厳密に言うと、「孤独」は一人でいる状態のことであり、「孤立」は繋がりが切れている状態のことを言います。人は、心理的に誰かと繋がっていれば一人でいること(孤独)にも耐えられますが、繋がりが切れた状態で一人でいること(孤立)には耐えられません。
私たち日本に住むキリスト者は人口の1%、毎週教会の礼拝に出席している人は実質0.5%と言われています。先進国の中で人口比にすると最も少ない数です。周りには八百万の神が蔓延しています。日本人の多くの人が、「無宗教」だと平気で言います。心の弱い人が頼るのが「宗教」のようにも思っているようです。そのような日本社会の中でキリスト者が生活していくことは、困難を覚えることでしょう。そのことをイエスさまは知っておられるからこそ、弱い私たちに「安心せよ!元気を出せ! 恐れるな! 勇気を出せ!」と強く励ましてくださっているのです。
神がともにおられるがゆえにイエスさまが世に勝たれたように、イエスさまがともにおられるならば、私たちもこの世に勝つことができます。厳しい現実の中でも、揺るぐことなく信仰に堅く立ち、勇敢に出ていくとき、主がくださる平安を味わうことができるのです。