2015.12.20説教要旨 題:「わたしたちはその栄光を見た」 聖書:ヨハネ1:14
牧師 岩橋 隆二
ホームレス支援を永く実践してきている奥田知志牧師は、常々語っています。寄り添うということは、「自分も痛む」ことだと。世間ではこの時期、クリスマスの本当の意味を知らない多くの人が空騒ぎをしている一方で、孤独に苦しむ多くの人がいます。私たちもイエスさまに出会わなかったなら、孤独の中でさまよっていたに違いありません。姜尚中さんは、講演の中で語っています。「人間は、人と人との間でしか生きていけない」と。
イエスさまは、神でありながら、わたしたち人間のひとりとして、この世界に生まれました。イエスさまは、暗闇の中に震えている人のそばに寄り添いました。行く先の分からない荒野を旅するような不安な人のそばで共に歩みました。苦しんでいる人といっしょに苦しみ、悲しんでいる人といっしょに悲しみました。イエスさまに出会って、イエスさまが伸ばす手に触れられて、たくさんの人が癒されたり、慰められたりしました。そうやって、イエスさまは、人と人との真っただ中に生きておられたのです。イエスさまの姿には、華やかさも、美しさもありませんでした。でも、その姿には人々への愛が・・・そう、私たちへの愛が、満ち溢れていました。だから、私たちがどんなに深い闇の中にあったとしても、どんなに私たちの心が揺らいでいたとしても、イエスさまは、私たち全ての人をくまなく照らし、あったかく包み込んでくださるのです。
今日の聖書の箇所ヨハネ1:14(現代訳)。
「キリストは人間となられて、私たちのいるこの地上に来られた。私たちは、このイエス・キリストがいかに恵み深く、また真理そのものでいらっしゃるかということを知っている。それは、実に、神の独り子であって、私たちはその栄光を見たのである。」
この最後のところの「私たちはその栄光を見た」の「私たち」は、「この福音書を書いた記者を含めたイエスの地上生涯の目撃証人たち」のことが、第一義的に意味されています。しかし第二義的には、教会に属する「私たちキリスト者」を含むと考えられます。イエスを信じて新しい誕生を経験した私たちキリスト者はみな、聖なる公同の教会の一員として、<この方の栄光を見た>とあかしすることができるのです。
イエスさまがこの世に来てくださったことにより、罪により死ぬしかなかった私たちを、救いに与らせてくださったその喜びを、クリスマス礼拝のこの日、その意味をしっかりと心に刻んで、イエスさまがくださった「新しい命」に生きてまいりたいと願います。