「アンネの仕事」を!-70年目の夏に
13歳の誕生日に、父から贈られた日記帳-そこには女子中学生アンネの学校での出来事や勉強のことが書き記されるはずでした…。しかし実際に書かれたのは、アドルフ・ヒトラー率いるナチスが実行した「ユダヤ人絶滅計画」の魔の手から逃れるため移り住んだオランダ、それも「隠れ家」で過ごした2年余りの日々の出来事でした。限られたスペースから一歩も外に出られず、窓から街ゆく人の姿をながめることも許されません。トイレの水の音にも神経を使い、限られた食料を分け合って食べる-しかも、家族だけでなく父の会社の同僚一家と「あとひとりならここに住まわせてあげる余地もある」と迎えた中年男性との計8人での共同生活!
昨秋、西南学院中高で開催した「アンネ・フランク展」に備えて読んだ『アンネの日記』は、多感な女子中学生が親をはじめとする大人を観察し、自分自身を見つめ、さまざまな成長を遂げていくプロセスを垣間見る記録としても興味深いものです。けれどもそれ以上に、ただ「ユダヤ人である」というだけの理由で、あらゆる自由を奪われ、命を狙われ、息をひそめて過ごさざるを得なかった稀有な<二度と繰り返されることがあってはならない>人種差別・戦争の悲惨を現代に伝え、平和とはどのように生きることであるかを問いかける貴重な資料です。いつ終わるのかわからない「隠れ家」での日々-さまざまな、折り重なるようなストレス、見つかって収容所に送られることへの恐怖の中、絶望におちいることなく生き続けたアンネの“希望を持ち続ける力”や、ユダヤ人が生き延びることに協力していることがばれたら自分自身が危険な目に遭うことを承知の上で、食料などを運び彼らの命・存在を命がけで守った協力者に感動を覚えました。
戦争の悲惨を身をもって体験された人々の声を聞くことが難しい-かつての戦争は遠い過去の出来事となりましたが、多くの人々の生活・未来・生命を奪った「ヒトラーの思想」は消えたと言い得るのでしょうか?アンネたちが願い求めた「平和」は実現しているでしょうか?昨日、日本バプテスト連盟部落問題特別委員会のフィールドワークで、日本の地でアンネのことを語り継ぎ、平和教育を進めておられる「ホロコースト記念館」(広島県福山市)を再訪しまし、あの「隠れ家」で過ごした8人の中で唯一、強制収容所での死をまぬかれて生き延び、娘アンネが残した日記の出版を通して平和の実現のため働くことを「アンネの仕事」と呼び、後半生をささげたアンネの父オットー・フランクの言葉を今一度心に刻みました。「平和は相互理解から生まれます。アンネたちの悲劇的な死に同情するだけではなく、平和を作り出すために、何かをする人になって下さい。」
聖書の語る「平和」(シャローム)は、単に戦争のない状態を意味するのではなく、“社会を構成する一人一人の人間性が尊重される状態”を指します。あの日記は、理不尽な時代状況の中、さらにストレス多き隠れ家での共同生活の中、平和に生きようと努めた少女アンネの姿を伝えています。“シャローム”を実現するために、私が、また教会に求められている「アンネの仕事」はどんなことでしょうか?
「平和な人には未来がある。」(詩編37:37)