聖書箇所:サムエル記下11:1~5、26~27 説教題:「主を怒らせた」
岩橋隆二
今日の聖書の箇所サムエル記下11章は、ダビデ王が犯した重大な罪のことが記されています。聖書の記述は、神様の前に義しい生き方をする理想のダビデ像その通り進行していきます。サムエル記上から下10章までは少なくともそうです。ところが下11章にきていきなり、ダビデは神の前に罪を犯すのです。ダビデは配下の将軍ヨアブとその指揮下の全軍を送り出し、時局が優位に進行していたある日、気の緩みからか或いは慢心からか重大な罪を犯します。昼寝から起きたダビデ王は王宮の屋上から、一人の美しい女性が水浴びしているのを目に留め、心奪われ、使いの者をやって彼女を召し入れます。その女性はバテシバと言い、「ダビデの三十人の勇士」の一人ウリヤの妻でした。ダビデはバテシバと床を共にします。これは王といえども、十戒に規定されている重罪です。バテシバは子を宿したので、ダビデに使いを送り「子を宿した」と知らせます(11:5)。ダビデは自らの不倫がばれることを恐れて、ウリヤにその妻バテシバと寝るように勧めますが、彼はむしろ忠実に任務を果たすべきことを優先してそれを拒みます。思い通りにいかないダビデは姦計を弄してウリヤを前線へ送り、ウリヤはその地で戦死します。このようにしてダビデはバテシバを自らの妻として迎え、彼女は第一子を産みますが、このことは神様の怒りを買いました。神様は預言者ナタンをつかわしてダビデを諌めます。ダビデは自らの悪を指摘されて、心の奥深くから悔い改めます。しかし第一子はダビデの行いの報いとして死にました。次に生まれるのが有名なソロモンです。そして、その後、ダビデ家には兄弟間の殺人や息子による反逆など、数々の試練が臨むのです。
サムエル記の記者は、このいまわしい章、11章を終るにあたって「しかしダビデがしたこの事は主を怒らせた」(11:27)と結んでいます。ダビデは自分の権力をもって自分が犯した悪事を覆い隠そうとしました。しかしどんなに巧妙な手立てをしても、その罪を神様の前から覆い隠すことは出来なかったのです。罪の恐ろしさは、まさにこの神の怒りにあるのです。
ヨブ記1章1節に「(岩波訳)ウツの地にヨブという名の人がいた。その人は完全で、まっすぐであり、神を畏れ、悪を遠ざけていた」と記されています。ヨブは、信仰と倫理において非難の余地なく努力する姿勢が完全な人でした。そのヨブでさえ神を畏れればこそ、懸命に悪から離れる努力をしていたのです。
しかし、神を恐れるとは、神の怒りを恐れてびくびくしながら生きることではありません。それは神の怒りよりも神の愛に目を注いで生きることが大切です。使徒パウロは「あなたがたはキリスト・イエスにある恵みによって、強くなりなさい」(テモテ第Ⅱ2:1)と言っています。私たちのような者のために、わが主イエス・キリストが十字架について死んで下さった。どうにも償う事の出来ない私たちが犯した罪を贖ってくださった、その恵みを常に覚え、その神の愛の前に生きるとき、私たちは強くされ、悪に遠ざかることが出来るのです。尊いみ子の代価を払って買い取られた自分を思い、主の愛に励まされて強く生かされる者となることを願っていきましょう。