聖書箇所:列王記下2:1~11 説教題:「二つの分け前」
岩橋隆二
エリヤは、神の霊の導きに従って生きた人です。神の霊が彼に語られれば、彼はそのとおりに従いました。彼はギルガルからベテル、エリコ、そしてヨルダンへと神の指示に従って行きます。彼は神が自分を天に連れて行かれることもすでに知っており、弟子たちに働きを続けるよう頼みました。神の前でただ一人残された預言者だと抗議していた彼に、七千人を残すと言われた神は(列王下19:14,18)、神とともに歩むエリヤに頼もしい後継者エリシャとイスラエルの様々な地域から預言者たちを呼んで働かせられました。エリヤが神の霊の導きによって従順に働いたとき、神は彼とともに働かれ、ついにエノクの場合のように、神はエリヤを天の馬車に乗せて、神の国へと移されました。
神様は渇望する(神様を強く望む)者に恵みを与えます。エリヤに随行していたエリシャは、最も信頼する人が天に引き上げられ、自分が担うべき働きの大きさを前にして、目の前が真っ暗になったことでしょう。彼はエリヤと比較すら出来ない自分の足りなさと、その働きの大変さ・難しさを知っていました。ですから、エリヤに最後までついて行き、「二つの分け前」を節に求めました。正当な後継者としてエリヤの働きを継続しようとするなら、エリヤに臨んだ聖霊の二倍のみわざが自分に必要だと求めたのです。これは彼の欲から出たことではなく、神に対する熱意から出たものです。彼の要求は、神の働きを担うために必要なものだったのです。私たちは、神に喜ばれる歩みをするために十分な信仰と力を慕い求めなければなりません。
正しい信仰を継承するとき、神の国が広がります。エリヤの昇天を見守ったエリシャは、「わが父、わが父」(12節)と繰り返し叫びます。そこにはエリヤに対する深い尊敬の思いが表れています。実際、預言者エリヤによって北イスラエルに対するさばきが留保されていたと思われるほど、彼の存在は特別でした。「父」という表現から、エリシャがエリヤを霊的な父と考えていたことがわかります。また、「二つの分け前」とは、長男に与える遺産の分量を意味しますが、この表現からも、エリヤの霊的な子と認められたいというエリシャの思いがよく表れています。彼は最後までエリヤを離れなかっただけでなく、師が受けた聖霊の恵みを慕い求め、師が仰ぐヤハウェの神を求めました(14節)。聖徒は正しい信仰を立て、その信仰の遺産を次世代に伝授する責任があるのです。
今まで神の御前に用いられた人たちは、すべて忠実な人たちでした。主は御自分の仕事を忠実な者たちに任せ、その人たちを通して御心を成し遂げられます。このような忠実な者たちは、さばきの時に、「よくやった。良い忠実な僕だ。あなたは、わずかな物に忠実だったから、私はあなたにたくさんの物を任せよう。主人の喜びをともに喜んでくれ」(マタイ25:21)と褒められ、褒美を与えられるでしょう。
私たちは主人である神様に用いられるに相応しい僕になるために、真実で忠実な者として今、立っていこうではありませんか。