2015.12.6(1主日)説教要旨 題:「命と光であるキリスト」
聖書:ヨハネ1:1~5 牧師 岩橋 隆二
今日の聖書の箇所ヨハネ1:1~5は、「言(ロゴス賛歌)」などとも呼ばれる詩分体ではじまる信仰告白です。そして、このヨハネ福音書が伝える「福音」全体を語っているものだと考えられます。
1節の「初めに言があった」の「初めに」は、創世記1章1節「はじめに神は天と地とを創造された」の天地創造が重ねられています。神さまの「光あれ」(創世記1:3)との「言」によって、天地創造が始まりました。その「言」は被造物が造られるよりも先に在りました。その「言」は被造物ではなく神さまに属し、神さまと共にあり、神さまと本質的に同じであると宣言します。4,5節の「命は人の光であった」「光はやみの中に輝いている」も天地創造を思わせます。「光」が輝く以前の世界は、混沌としており闇に覆われていました。そこへ発せられた初めの「言」には、「命」があり「光」が輝いた。その「言」は「光」として現れました。「輝いている」は、イエスさまが、自らを「世の光である」と宣言したことに重なります。更にイエスさまは、ご自分を信じる人々を指して、8章12節「わたしは世の光である。わたしに従って来る者は、やみのうちを歩くことがなく、命の光をもつであろう」、12章35,36節「35もうしばらくの間、光はあなたがたと一緒にここにある。光がある間に歩いて、やみに追いつかれないようにしなさい。やみの中を歩く者は、自分がどこへ行くのかわかっていない。36光のある間に、光の子となるために、光を信じなさい」。このように語ります。人々に、イエスさまの存在自体が新しい世界の到来であることを宣言しています。
ここにおられる殆どの人が、大なり小なり、人生に苦悩し、暗闇の世界を経験して来られたのではないでしょうか。今がその最中の人もいるかも知れません。しかし、キリストの命である「光」に出会う時、その人の人生は輝きます。
皆さんの心の闇を取り除く「光」が射し込んだ瞬間があったと思います。それは、冷え切った心を一瞬にして温めることのできる力ある「言」だったと思います。啓子先生が天に召される前の一月間位、光に包まれていたと言われたあの「光」こそが、イエス・キリストだと信じています。
今日の結論です。人生と宇宙の奥義を知る最善の方法は、ことばである御子イエスさまを知ることです。ことばである神さまは、万物よりも先におられ、世にあるものはすべて、この方によって造られました。神さまと断絶された被造物は、いのちなく、闇の中で生きるしかないのです。私たちは、神さまを通してのみ豊かな人生を設計することが出来るのです。ことばである神こそがすべての被造物のいのちの源であり、私たちの人生はこの方によって形作られているからです。ことばである神から出るいのちは、世を照らすまことの光です。暗い世でさまようことなく歩むためには、まことの光が必要です。私たちの人生のやみを解決する秘訣は、ことばである神が与えてくださるまことの光に気づき、それを人生に適用することです。