聖書箇所:ヨハネ4:46~54 説教題:「命の主権者なるイエス」 牧師 岩橋隆二
46節後半を口語訳では「病気をしているむすこを持つある役人がカペナウムにいた」と記しています。「ある役人」と訳されている言葉は、原語では「王家の家臣」という意味です。王に仕える役人は、普段から人を動かす権力ある立場であったと思われます。その彼に向けられた48節の「(口語訳)あなたがたは、しるしと奇蹟とを見ない限り、決して信じないだろう」というイエスさまの言葉は、直接的には役人に向けられた言葉ですが、「あなたがた」と言われていますから、「しるしや不思議を見なければ信じない人」の在りよう一般に対する問いかけと考えられます。
ヨハネ2:23~24に「(現代訳)過越の祭の間、イエスがエルサレムにおられた時、多くの人々は、イエスの行われた奇蹟を見て、イエスを信じた。しかし、イエスは彼らの信仰が上辺のものに過ぎないことをよく知っておられたので、彼らを信用されなかった」とあります。「しるしや不思議を見たから」信じることへのはっきりした拒絶が示されます。
カペナウムからカナまでの30kmを越える道のりを駆け付け、カペナウムまで来て息子を癒してくださるように頼んだこの王家の家臣は、今や「イエスの言われた言葉を信じて帰って行った」(50節)とあります。イエスさまの「言葉」がこのことを起こし、父親はそのイエスさまの「言葉」を信じた、と伝えられます。息子の癒された時刻が「イエスが『あなたの息子は生きている』と言われたのと同じ時刻」(53節)であると記されているのも、イエスさまが「生きている」と言ったその言葉(ロゴス)の力を強調するものです。
王の家臣はいろんなものを持っているようで、その実、彼は自分の手の中は空っぽだったと気づいたのです。その空っぽの手を満たせるのはイエスさましかいないと感じたからこそ、彼はイエスさまのところへやって来たのではないでしょうか。その彼の空っぽの手の中に、イエスさまは言葉による約束、「行きなさい。あなたの息子は生きている」を入れられました。この父親はその言葉だけを信じたからこそ、息子の病気が癒され、家の者がみなイエスさまを信じて救われるという祝福が与えられたのです。お金や物、それに名声や地位といったこの世の人が与えてくれるものに、私たちは強く心惹かれますが、私たちにとって最も大事な「いのち」を守り強めるものは、イエスさまの言葉であることを信じ、今日からの新しい1週間を更に一歩踏み出してまいりましょう。