聖書箇所:列王記下5:15~19 説教題:「変えられた人生」
岩橋隆二
アラムの王ベン・ハダドの軍司令長官ナアマンは、王のあつい信頼を得ていました。しかし、彼は「重い皮膚病」を患っていました。召使であった少女が、ナアマンの妻に「サマリヤの預言者のところで癒してもらえる」と進言します。主君であるアラムの王も承認し、彼のためにイスラエルの王に手紙を書きました。ナアマンは贈り物として銀十タラントと金六千シケルと晴れ着十着を携えて出かけました。ちなみにこの贈り物の総額は、今の貨幣価値に換算するとざっと六千万円位になります。
イスラエルの王は、アラム王からの親書を受け取ると、怒りのあまり衣を裂きました。アラムの王が自分に「喧嘩を売る機会を窺おうとしている」と誤解したからです。しかし、エリシャは、「その男をわたしのところによこしてください。彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう」と申し出ます。エリシャの家の入口にナアマンが数頭の馬と戦車でやってくると、エリシャは使いの者にこう言わせました。「ヨルダン川に行って七度身を洗いなさい。そうすれば、あなたの体は元に戻り、清くなります」(5:10)。ナアマンはこれを聞くと怒ってエリシャの家の入口から去り、「彼が自ら出て来て、癒してくれるものと思っていた。ダマスコの水で洗って清くなれないというのか」(5:11,12)と言います。ナアマンは自分に対して会いもしない非礼ぶりに激怒しました。しかし、彼は家来たちからなだめられ、引き留められます。ナアマンは思い直し、エリシャの言葉どおりヨルダン川にくだり、身を七度浸したところ、彼は癒されました。神の救いは、ただ神の方法で現われます。エリシャは、ナアマンの治癒の過程で、一切の人為的、自然的治癒効果が入る可能性を排除しました。神の救いの力は、預言者の魔術的霊力、呪文、川の水の自然治癒力にかかっているのではなく、神の超越的な力にかかっていることを示したのです。ですから、神の救いの力を期待していたナアマンは、まず神のことばに従うべきでした。ナアマンがあやうく従えずに失敗するところだった理由は、病を隠してくれる高貴な服と戦車を持っているというむなしいプライド、そして合理的な考え方でした。しかし、知恵深いしもべたちの勧めによって神のことばに従ったとき、彼は理性的な考え方ではなく、全く期待できなかった神の神秘な救いの力を体験できたのです。
神の救いの力を体験した人は変わります。そこには変えられたナアマンの姿がありました。自分が体験して悟った神の存在を確信を持って告白します。そして彼は、神だけを恐れて仕えると決断します。イスラエルの地で神の救いの力を体験したナアマンの変化と決断は、当時のイスラエルの民の不信仰と不従順を恥ずかしくさせます。神様は、異邦人ナアマンをイスラエルの地に導き、奇跡的ないやしと変化を経験させることによって、イスラエルに何を期待しておられるかをはっきりと示してくださいました。みことばに謙遜に従うとき、間違いなく恵みを受けます。