2016.5.15説教要旨 聖書箇所:ヨハネの黙示録19:1~10
説教題:「小羊との婚宴の日」
牧師 岩橋隆二
以前、聖書は、どのような時代背景で、誰が誰に対して、何をメッセージしているのかを押さえて読むと理解し易くなることを言いました。特に今回の「ヨハネの黙示録」は、その時代背景から「比喩」と「象徴」とで書かれていますので、時代背景を理解せずに字面だけで読むと、何が何だかさっぱり解らないということになります。
また、「ヨハネの黙示録」の著者は誰であるか、これまで、その時代時代に多くの神学者により研究されてきました。使徒ヨハネ以外のいろんなヨハネ説がありますが、現在は、この書の著者は、伝統的な見解では使徒ヨハネであると考えられています。そうであれば、他のヨハネ文書の特徴とを考え合わせれば、より理解が深まることになります。つまり、ヨハネが書いたものの特徴を示すものとしての「光とやみ」「真理と偽り」「神の力とこの世の力」などの対立概念を理解することは、「ヨハネの黙示録」を読み進めて行く上で重要な鍵となると思われます。
いずれにしても、ローマ帝国から迫害され島流しされたヨハネが、同じように迫害を受けている教会を励ますために書き送った黙示書簡は、取りも直さず私たち現代に生きるキリスト者に対するメッセージとして、真剣に受け取るべきことであることは言うまでもありません。
ここでは神のさばきによって不義な人々は敗北し、真理と正義は勝利するということが記されています。神のさばきの前で、この世の権力と富で日常的に不義を行っている人たちは恐れを抱くでしょう。しかし、不条理にも迫害されて苦しみを受けた小羊の民は、勝利を賛美するのです。私たちは正しく真実な神様にすべての判断をゆだねているか。この世の不義の中でも、神様の正しいさばきを信じて、忍耐しているか。そのことがここでは示されています。
私たちの社会がまことに必要とする人々は、天国のビジョンを持つ人、すなわち、権力であれ、名誉であれ、財産であれ、手当たり次第に握ろうとする人ではなく、捨て、仕え、分かち合える人々ではないでしょうか。私たちは、善と悪の混在するこの世界に生れてきています。その中で神様の語りかけを聞くと同時に、自分中心の傲慢な生き方への誘いの声も聞いています。よき人生を選択するためには、神様の助けを受け入れ、正しい判断をすることが必要です。それと同時に、よきことに感化し合う人々の交わりに身を置き、愛され受け入れられることを経験することが必要です。
聖徒たちはきよい亜麻布を着て小羊の花嫁になりました。小羊の花嫁として、召しにふさわしい生き方をしてまいりましょう。