「復活の信仰」 春陽の来復はキリストの復活を思わせます。キリストは甦りました。そして万世の救い主となられました。彼は復活後に言われました。「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」と。キリストが甦り給わなければ、私たちの信仰は空しいのです。過去の人は今私たちを救うことはできません。甦り給わなければ、キリストは過去の人です。キリストは甦り給うて、永久に生きる者となられました。私たちは私たちの救済の必要上よりキリストの復活を信じるのである[1]。
「イエス彼(かれ)に曰(いひ)けるは我(われ)は復生(よみがえり)なり生命(いのち)なり我(われ)を信(しん)ずる者(もの)は死(しぬ)るとも生(い)くべし。凡(すべ)て生(いき)て我(われ)を信(しん)ずる者(もの)は永遠(いつまで)も死(しぬ)ることなし爾(なんじ)これを信(しん)ずるや」(約翰傳11章25節、26節 文語・明治訳)
大切な夫を喪えば如何に辛く寂しいことでしょう。妻の思いを述べたもの。
獨夜涙新遺影前 独(どく)夜(や) 涙(なみだ)は新(あら)たなり遺影(いえい)の前(まえ)
君徂寂寂日如年 君(きみ)徂(ゆ)きて寂寂(せきせき) 日(ひ) 年(ねん)の如(ごと)し
何疑基督復生賜 何(なん)ぞ疑(うたが)わん 基督(きりすと) 復生(よみがえり)を賜(たまわ)る
最愛良人今在天 最愛(さいあい)の良人(りょうじん) 今(いま)は天(てん)に在(あ)り
遺影=故人の生前の写真や肖像画 寂寂=ひっそりと静かなさま 日如年=1日がとても長い 復生=復活
良人=夫
[1] 『内村鑑三所感集』(岩波文庫)現代文に直しています。