聖書箇所:サムエル記上21:10~15 説教題:「恐れから救ってくださる神の恵み」
岩橋隆二
ダビデは王として選ばれましたが、王位に着くまで険しい道のりが続きます。ヨナタンの助けでようやくサウルから逃れたダビデは、聖所のあるノブに身を避けます。ダビデは差し迫った状況にあってもまず、聖所を訪れたのです。彼は神の助けを求め、神様の恵みに拠り頼もうとしていました。
ダビデは、サウルが遣わす所すべてで勝利を収めました。ダビデがペリシテとの戦いに勝利して帰って来ると、歓迎する女たちが、サウルよりもダビデをたかめて歌います。それを聞いたサウル王は怒り、ダビデにねたみを抱きます。自分よりも人気のあるダビデを見て、相対的に王である自分の権威が落ちたように感じたからです。神に選ばれて王となったのに、サウルには自分に対する確信がなかったのです。その日以来、サウルは、ダビデをねたみと疑いの目で見るようになります。人をねたむ心は自分の骨をむしばみます。箴言14:30につぎのように記されています。穏やかな心は身の命である、しかし興奮は骨を腐らせる(新改訳:人をねたむ心は自分の骨をむしばみます)。神の人は、ほかの人たちがうまくいくのを見て、共に喜ばなければなりません。
緊迫したダビデの逃亡生活が始まります。ダビデは何としても生き延びなければなりませんでした。何故自分が主君サウルに命を狙われなければならないのか。ダビデにとってその理由はあまりにも理不尽で納得いかないものだったでしょう。ダビデにとってはサウルの誤解を解きたい一心からの逃避行であったのかもしれません。しかし、サムエル記の記者は、この逃亡生活をイスラエルの王として選ばれた者が受ける鍛錬の時、それを乗り越える知恵を受ける時、頼るべきお方への信仰を強めるプロセスとして描いています。
敵であるペリシテ人の地に逃れることは、民族の裏切り者という汚名を着せられる危険もありましたが、ダビデはペリシテのガテに逃れます。ガテは、ダビデの故郷ベツレヘムから一番近いペリシテの町で、有名なゴリヤテの故郷でもあります。ゴリヤテを殺したダビデが、ガテを避難場所として選んだのは、それほどまでに状況が切迫していたからでしょう。ガテの王アキシの家来たちは、ダビデを見つけて「あの国の王」と言い、イスラエルで歌われていたダビデに関する歌を引き合いに出します。敵の領土に逃れるほどに切迫した状況でしたが、ダビデを王として選ばれた神の御心は、厳しい状況の中でも貫かれます。
恐れと孤独の最もひどいとき、ダビデは、苦しむ者を決して見捨てない神様を経験しました。神様に身を委ねるとき、神様が平安と生きる道を与えてくださいます。
詩篇118篇8,9節に、「主に寄り頼むは人にたよるよりも良い。主に寄り頼むはもろもろの君にたよるよりも良い」と記されています。ダビデは、サウル王を恐れ、嘘をついたり、剣に頼ったりしました。ガテの王アキシをひどく恐れ、よだれを流して狂ったふりもしました。神はこのような出来事を通して、「わたしが恐れるときは、あなたにより頼みます」(詩篇56:3)とダビデが告白できるように彼を鍛錬されました。神様は、時に失敗のように見える経験を通してでも、神様だけに拠り頼む方法を学ばせてくださいます。