【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年11月16日説教要旨
聖書箇所 マタイによる福音書6章13節
「悪」から救ってください
原田 寛
「誘惑」は、文字通り誘って惑わすことです。誘って惑わすことは、聖書では、神に対して忠実であろうとする者に対して、魅惑的な言葉などで、その道を惑わそうとする試みとなっています。代表的なのがマタイ福音書4章に記されていますサタンの誘惑です。サタンは、「食べること」「自分の命のこと」「この世の栄華と権勢」をもって誘惑しました。
これらの事柄は、どれもすべての人が接し、すべてが必要な事柄です。サタンの「誘惑」は、必要なこれらものを神様が与えておられることを忘れさせたり、誤って理解させたり、異なる蜜へと誘導することです。主の祈りは、この誘惑や試練に会わせないでと祈ります。
この祈りは、「神の国と神の義を求めなさい」にやはり繋がります。
しかし、この世は、この「誘惑」や「試練」に満ちています。新約聖書の中で試練に合わなかった使徒たちはいません。主イエスは、「私のために人々が罵り、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせる時、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。あなたがたより前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ5章11-12節)と言われました。私たちも「誘惑や試練」には遭いたくありませんが、遭うものなのです。パウロは、「信仰義認論」唱えました。しかし、ユダヤ教の中では相当な厳しさがありました。この「論」を改めた方が良いという誘惑あったでしょう。しかし、彼は、立ち続けました。その結果、私たちはキリスト者となることができました。
創世記3章では、アダムとエバによって、すべて「善い」ものとして創造された世界に「罪」が入り込みました。聖書では「悪」は、「罪」よりも広い意味で用いられます。「悪」は、「罪」を含め人間の無益・有害な行為(マタイ25章26節)、苦痛や悲しみ、不幸、死などが人間に対して力をふるっている領域や原因を指すということです(箴言11章12節)。悪はだれかによって行われるのです。蛇によってアダムとエバが罪を犯しました。出エジプトの際、シナイ半島の荒野でイスラエルの民は、金の子牛を製造し「神」とあがめ、導いておられる神に対し行ってはならないことをして罪を犯しました。イスラエルの民は、共にいるはずのモーセが神と接するために出かけ、不在となっていることに不安を覚えて、製造してしまいました。しかし、だれかが言い出さなければなかった事柄です。いったいだれが、このようなことを言いだしたのでしょう。その者こそが、イスラエルに「悪」をもたらしたに人物です。そのような人は、不安を解消する方法を考案する発想力、物事や人々の思いをまとめていく統率力、モーセの兄アロンに反対させない権威をもった人物です。彼は、「神なし」でも歩みを進めていくことができる魅力を感じさせる存在ではなかったでしょうか。しかし、彼とイスラエルは、神の怒りを買い、神の裁きを受け死ななければなりませんでした。
主の祈りは、現在、ささげている祈りです。「誘惑や試練」に遭わせないで「悪」からお救い下さい。今の世においても、「誘惑」や「悪」は、多くの人を躓かせています。この世の最先端を行くような魅力的な事柄においても、「誘惑」や「悪」は、行われています。神は、すべてをご存知です。「悪」から救ってくださいと祈って「神の国と神の義」を求める者に、神の知恵や神の知識を表してくださるでしょう。そして、神の知恵と知識は、主イエス・キリストの十字架の上に表された贖いの業の奥深さ、そして、神の愛と慈しみの豊かさを、心深く行き渡るように与えてくださるでしょう。
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