聖書箇所:ヨハネの黙示録4:1~11 説教題:「栄光に満ちた天の礼拝の幻」
ヨハネはパトモス島の牢の中で“霊”に満たされ、ラッパのように響く大声を聞き、キリストのような方を見ます。威光の凄さに撃たれて死んだようになってしまったヨハネに、その方は右手を置いて「恐れるな」と言われます(1:9~20)。霊の導きによって、ヨハネはイエス・キリストの声を聞き、当時アジア州の諸都市にあった7つの教会に、手紙を書き送るようにと命じられます。7つの教会への手紙(2~3章)を書き終えたヨハネは、目を天に向けます。すると、そこに開かれた門が見え、最初に聞いたあのラッパが響くような声が「ここへ上って来い」というのを聞きます。たちまちヨハネは“霊”に満たされ天上へと移されます。
ヨハネが幻で見た天の御座に着いている方の姿は、預言者エゼキエルが見た幻に似ています。御座からいなずまと声と雷鳴が起こり、御座の前には7つのともしびによって象徴される神の御霊がいます。御座の回りには24人の長老たちが冠をかぶって各自の座に座っています。この天の御座の幻は、天地万物の上におられる神の絶対主義を確認させてくれます。神の統治権は、空間的には天と地と海に、時間的には過去と現在と未来まで及びます。御座の前の7つの御霊は7つの教会を想起させます。7は完全数で地上にあるすべての教会を象徴します。ですから、御座の前の7つの御霊は、地上の全教会を治められる神の御霊です。教会は神様の統治の対象である万物の中で、神様が特に関心を持っておられる対象です。
私たちは、この「ヨハネの黙示録」を読んで、これをヨハネが見た単なる幻聴だと捉えることは許されません。私たちはこの書から、天の御国が実在することを知らなければなりません。そして待ち望んでいかなければなりません。天の御座で宇宙を統治される方に、心からの礼拝を捧げていかなければ、天の御国に行くことは出来ないのです。
ヨハネは、天の御座に着いている方が天の群衆から絶え間なく礼拝を受けておられるのを見ます。神を礼拝するこの群衆は2種類に分けられます。一つは、御座の回りにいる4つの生き物で、昼も夜も休みなく御座に着いている方を礼拝します。また、御座に着いている方のことを「万物の支配者。昔いまし、今いまし、後に来られる方」(8節。新改訳)と言います。神のことを「未来にも存在される方」ではなく「後に来られる方」と言うのは、この方が世をさばかれるために再び来られることを暗示しています。御座に着いている方を礼拝するもう一つの群衆は24人の長老たちです。彼らは救いを受けた神の民を代表しています。彼らは冠を御座の前に投げ出しますが、これは彼らの統治権を御座に着いている方に返すことを象徴しています。
私たちは神様に最高の栄光と誉れと感謝を捧げているでしょうか。天での礼拝のために、この地上での礼拝をさらに訓練していかなければなりません。
啓示のみことばを読み、聞き、守り、祝福される人生を共に歩いてまいりましょう。