【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年10月4日説教要旨
聖書箇所 ローマ8:28-30
万事を益に
瀬戸 毅義
私たち各自の人生の歩みを考えてみましょう。誰でも満足できる人は少ないのです。反対に「こうすればよかったのに・・・。申し訳なかった・・・。」などの後悔の念に苛まれることが多いのではないでしょうか。そういう時に私たちは次の聖書の言葉にいつも励まされます。ロマ書8章28節です。「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」。別訳で調べましょう。「そればかりではない。(わたし達の救いは次のことからも確かである。)わたし達が知っているように、神を愛する者、すなわち(神の)計画に応じて召された者には、すべてのことが救いに役立つのである」(塚本虎二訳)。
すべてのこと(all things, everything)です。成功も失敗も、順境も逆境も、貧も富も、幸運も不運も健康も病気もすべてです。クリスチャンには万事が救いに導く恩恵です。信じてこれを受ければすべてのことが感謝です。私たちの救いは、神のご計画に拠るのですから、これほど確実なことはありません。
私たちは信仰のみにより「神の子、相続人」とさせていただきました(ロマ8:17)。私たちの救いは現世に限られません。来世、復活、つまり救いの完成へと続いているのです。キリスト教の信仰の価値は実にここにあります。
私は聖書から多くのことを学びました。また書物からも多くのことを学びました。それらは私の心の糧となっています。以下の内村鑑三の実話もその一つです。来世のこと、復活のことなどを教えられました。
余はかつて一夜、先生(*注)の家を訪(おとな)う。時に先生ひとり書斎にあり。余を延(ひ)いて先生と対座せしむ。先生、壁上に掛かりし一婦人の肖像をさしていわく、「彼女は余の愛する妻なり。五年前に吾人を去れり。今は天国にありて吾人を待ちつつあり」と。言終わりて、先生の鵞(わし)のごとき眼は涙をもってあふれたり。先生の未来存在を信ぜしは、余が明日の存在を信ずるがごとく確かなりし。余はその時、初めて来世の実在を確かめ得たり。余は先生と別れてよりここに十有一年、先生また今世の人にあらずして、今は先生の希望せし純潔なる郷土にあるを信ず。されども今や日常世路の難に会してしばしば先生の面影(おもかげ)の彷彿(ほうふつ)として余の眼前に浮かび来たり、余を教え導くこと、十数年の前、馬州(マサーチュセッツ州)の一校村においてせしがごときを覚ゆ。
内村鑑三『東京独立錐誌』1899年1月。著作全集:23、126頁)
*注。ジュリアス H.シーリ/Julius Hawley Seelye,1824-1895のこと。シーリは内村鑑三が入学したアマースト大学(Amherst College)の学長。内村鑑三は1886/明治19年-1887/明治20年に同大学に在学した(26歳から27歳)。理学士(B・S)の称号を授与され卒業している。内村鑑三はシーリ学長から十字架の贖罪の信仰を学んだ。この頃の青年、内村鑑三の清冽な内面の記録は『余は如何にして基督信徒となりしか』に残されている。