【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2025年3月2日説教要旨
聖書箇所 フィリピの信徒への手紙4章10~14節
いついかなる場合にも
原田 寛
「いついかなる場合にも対処する秘訣を授かっている」というパウロ。それは、獄中のパウロを喜ばせたフィリピの教会の「心遣い」に対して記されている言葉でした。「心遣い」とは、相手が良いようにと、思いやりの心を働かせることという意味です。
パウロが記していることは、パウロの関わる情報を得たフィリピの教会の人たちが、様々な贈り物をエパフロディトに託して届けた。それがどれだけ豊かなものだったのか。パウロは、「主において非常に喜んだ」とその贈り物に対する思いを記します。
しかし、「自分のおかれた境遇に満足することを習い覚えたのです。・・・」と続く言葉について、裏を返せば「自分はもう大丈夫だから、・・・」と断りを入れているように思われる内容になります。
パウロは、この中で重要なことを示しています。それは、「わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。」ということです。パウロは、そのすべてにおいて「強めてくださる方」と共に歩んできたということを示します。それは、多くの人と喜びを分かち合っている時も、孤独で苦しい時を過ごしていても、そうなのです。その「強めてくださる方」とは、十字架につけられて殺され、三日目に復活され、今も生きたもう主イエス・キリスト」です。これが、パウロの内実です。
そして、もうひとつのパウロの喜びが「それにしても、あなたがたは、よくわたしと苦しみを共にしてくれました」という言葉に表されています。フィリピの教会が同じ信仰をもってパウロのために祈り支えていることがしっかりと伝わっているからです。
わたしたちはどのようなことに向き合っているでしょうか。それは、心配事でしょうか。信仰の事柄でしょうか。それは喜ぶことができることでしょうか。「強くしてくださる方」は「いついかなる場合にも」共におられます。それは、パウロと同様に主イエス・キリストに出会う喜び、主イエス・キリストと共にいる喜び、信仰を共にする人たちとの出会いと喜びが伴います。