【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年8月13日説教要旨
聖書箇所 イザヤ書2章1~5節
さあ、主の光の中を歩もう
踊 一郎
ほんのちょっと悪くなっただけ
■ドイツ人はどうしてヒトラーの狂気の支配を見過ごしたのでしょうか
何故平気であり得たのでしょうか。ミルトン・メイヤーの『彼らは自由だと思っていた』という本の中に言語学者の証言が記されています。
- 一つ一つの措置はきわめて小さく、きわめてうまく説明され、時折遺憾の意が表明されるという次第で、全体の過程を最初から離れて見ていないかぎりは―こうしたすべての小さな措置が原理的に何を意味するかということを理解しないかぎりは―人々が見ているものは、ちょうど農夫が自分の畠で作物が伸びていくのを見ているのと同じなのです。ある日気がついてみると作物は頭より高くなっているのです。
- どうかわたしを信じてください。これは本当の話なのです。何処に向かって、どうして動いていくのか見きわめられないのです。一つ一つの行為、一つ一つの事件は確かにその前の行為や事件より悪くなっている。しかしそれはほんのちょっと悪くなっただけなのです。そこで次の機会を待つということになる。何か大きなショッキングな出来事が起こるだろう。そうしたら、ほかの人々も自分と一緒になって何とかして抵抗するだろうというわけです。
■マルティン・二―メラー牧師の言葉
- ナチが共産主義者を襲ったとき、自分はやや不安になった。けれども結局自分は共産主義者でなかったので何もしなかった。
- それからナチは社会主義者を攻撃した。自分の不安はやや増大した。けれども自分は社会主義者ではなかったのでやはり何もしなかった。
- それから学校が、新聞が、ユダヤ人が、というふうに次々と攻撃の手が加わり、そのたびに自分の不安は増大したが、なお何事も行わなかった。
- さてそれからナチは教会を攻撃した。そうして自分はまさに教会の人間であった。そこで自分は何事かをした。しかしそのときにはすでに手遅れであった。
■時代を見抜く目を
気づかないほど少しずつ大事なことが変えられていくのです。そのときに「すでに手遅れ」とならないために、私たちキリスト者は時代を正しく見抜く目を持ちたいと思います。そして今この国と世界の平和のために祈り、小さくても良い、できる働きから始めましょう。
教会は国家に対して常に目をそそぎ、このために祈り、神のみむねに反しないかぎりこれに従う。日本バプテスト連盟信仰宣言1979年