【説教音声ファイル】
2020年11月22日説教要旨
聖書箇所 マルコによる福音書 1章35節~39節
そのために出て来た
西南学院中学校高等学校
三上 梓
御子イエス・キリストの降誕を待ち臨む「アドベント」が近づいてきました。今年(2020年)は本当にいろいろなことが発生した一年でした。思い起こせば、新型コロナウイルスの感染拡大の中で、「イースター」を十分に祝い、礼拝に集う形で主イエスの復活を覚えるのが困難だった今春、聖霊の降り注ぎと教会の胎動を思い起こす「ペンテコステ」の時期にようやく集会の再開が模索された初夏、いまだかつて経験したことのない状況で礼拝を守って来ました。
礼拝って何だろう?教会って何だろう?キリスト者にとって集うとは、共に過ごすとは何だろう?多くのことを根底から問われ、一つひとつに応答してきた一年だったように感じています。筑紫野南教会に連なる皆さんは、どのような問い、課題、思索を積み重ねてこられたでしょうか。
だからこそ、今日は主イエス・キリストの御言葉にしっかりと耳を傾けたいのです。「わたしはそのために出て来た」(マルコ1:38)と語るイエスさまの「そのため」って、一体何でしょうか?
新型コロナの影響下、「三つの密」を避けながら様々な対応や取り組みに向かう中で、本当にわたしたちキリスト者が、教会がなすべきことは何であるのか、わたしたちが真実に目を注ぐべきことは何であるのかが、かえって鮮明に浮き彫りにされてきました。そしてそれは、イエスがご自身のメシアとしての歩み=「公生涯」のスタート部分で宣言した「宣教する」という働き、そして会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出す、という三つの働きと密接に関連しています。ご一緒に、御言葉から聞きつつ、わたしたちの歩みを問い直し、整えて参りましょう。