【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年4月21日説教要旨
聖書箇所 ヨハネ福音書2章1~11節
ただただ 信頼
原田 寛
ヨハネ福音書の舞台が、ガリラヤのカナになりました。イエスと弟子たちは、カナで行われている婚礼に招かれていました。その婚礼には、イエスの母マリアも招かれていました。マリアは、イエスに「ぶどう酒がなくなりました」と報告しました。宴会の席でぶどう酒がなくなることは、主催者(この場合は新郎新婦)の不手際であると考えられていました。この問題に、マリアは関わっていたようです。そして、マリアは、召使たちに「この人(イエス)が何か言いつけたら、そのとおりにしてください」と伝えました。イエスは、召使たちに、「水がめに水をいっぱいに入れなさい」といいます。召使たちは、言われたとおりに水がめの縁まで水で満たしました。そして、その水を汲んで宴会の世話役のところに持っていきなさいと言います。召使たちは言われた通りにします。そして、持ち運ばれた水は、最上のぶどう酒でした。
〇 清めの水がめは、人を清めるために置かれていました。清めるための水がない。汚れたままで、交わりの中に入っていくことは許されません。それはどういうことでしょうか。それらの水がめを清い水で満たしておかなければならない。婚宴の場では、主イエスの指示でなされてまいります。
〇 婚礼において必要だったのは、ぶどう酒だったはず。婚礼のはじまりには、ぶどう酒は十分だったでしょう。聖書の婚礼は、1~2週間行われたといわれています。ある習慣としては、新郎新婦を王と王女にみたててお祝いしたといわれます。お祝いの場に集う者たちは、その場限りかもしれませんが王と王女として祝福したのです。その祝福の返礼としてか、ぶどう酒と肉料理をふるまわれることになっていました。カナの婚礼で同様のことが行われていたかはわかりませんが、婚礼の途中でぶどう酒が不足するのは、新郎新婦の準備不足ということで問題視されてしまうのです。新郎新婦に寄り添うように関わるマリアは、それを防ぎたかったのでしょう。
〇 一つの水がめには、水が2~3メトレテス(78~117㍑)入りました。その水がめは6つ置いてありました。468~702㍑の水が入りました。これらの水がめには、水が入っていなかった。水を入れるために、町の井戸に召使たちは、汲み上げるために向かわなければならなかった。(一斗缶26~39杯分ほど)。指示された仕事は、たいへんな労働です。召使たちは、言われた通りにいたしました。そして、最上のぶどう酒がふるまわれるのでした。
主イエスの最初の奇跡でした。その場に寄り添い仕えていた人たちは、ぶどう酒の出所を知っていましたが、婚礼の参加者には、知られていません。新郎新婦は、ぶどう酒の不足が問われることはなく、最初に良いものを出すのが普通だが、あなたがたは後に良いものを取っておかれたと、この件について、賛辞を受けることになりました。新郎新婦は、婚礼が始まるときには、十分な量のぶどう酒を準備していたことでしょう。しかし、彼らが思っていた以上のことが起こっていたのです。主イエスの愛ですよね。
主イエスは、共におられます。信じる私たちの自覚しないところも、わかって、支えているのではないでしょうか。だから、私たちは「ただただ、信じ、信頼」してまいりましょう。私たちの為すべきことを為しながら、進んでまいりましょう。