【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2023年2月5日説教要旨
聖書箇所 ローマ7:24-25
とうとい教え-罪のあがない
瀬戸 毅義
始めに少し子供時代のことをおはなしします。私の宗教との出会いです。
わたくしは石川県金沢市の郊外、現在の金沢市国見町(その頃は石川県石川郡犀川村字国見)に生まれました。そこは家が8軒の山村でした。季節の移り変わりが、はっきりしている風光明媚なところでした。雪が深く1メートルの雪は珍しくないことでした。ふるさとの冬の雪の深さにくらべれば、福岡はおだやかなものです。国見村に通ずる車道はなく、山道を通り学校まで歩きました。車道が無いので、戦後、父が村民を説得し車道を作ることになりました。
県から補助金を受けて念願の車道が完成しました。それで今は車で行くことができるようになりました。しかし学校へはやはり徒歩でした。上級生(5年生以上)になると末(すえ)町(現在の金沢市末町)の学校まで歩きました。往復20キロ近くになったのではないでしょうか。人気のない山道は子供たちの通学路でした。もちろんバスなどもありません。しかし安全でした。現在からみれば到底考えられないことですが、その頃は当たり前でした。
比較的健康な身体を与えられたのはそのためだったと思い両親に感謝しています。生まれた家の宗教は仏教で浄土真宗でした。奥の座敷には立派な仏壇がありました。仏壇は先祖を覚えるところでした。また仏壇の傍らには蓮如(1415-1499)の御文がありました。そこには仏教の教えが書いてありました。そのような環境は周囲の家も同じだったと思います。
このように私は北陸の金沢にうまれたのですが、そこは浄土真宗のさかんなところです。その教えは少年時代の宗教教育でした。そこには次のような教えがありました。蓮如の御文から引用してみましょう。
人生は短くはかないもので、たとえ栄華をほこっても、盛者必衰会者定離のならいで久しく続くものではなく、しかも老少不定なのですから、人の世はあてにはなりません。ですから私たちは他力の信心を得て、浄土往生を願うべきなのです。その信心を得るには、智慧も学識もいらず、富貴にも貧窮にも関せず、善人でも悪人でも男でも女でも、もろもろの雑業(自力のはからい)を捨てて、正業に帰することが大切です。正業に帰するというのは、別に何ということもなく、一心一向に阿弥陀如来をたのみに思うだけのことです。み仏はこのように信じるものを光明の中におさめとって、命が終わればかならず浄土に生まれさせてくださるのです。蓮如上人 『口語訳 御文章』 二帖第七通
クリスチャンになってから、わたくしは阿弥陀如来をイエス・キリストに置き換えました。イエス・キリストを信じる時は、一心一向にお頼みしなければならないと思ったのです。蓮如の御文から、単純・素直な信仰の姿勢を教えられました。人の霊魂の救いは、儀式や礼典や経典の研究や、または修養鍛練等によって得られるのではありません。ただイエスの贖罪を信じる信仰によるのです。「悔い改めて福音を信ぜよ」(マル1:15)、また「主イエスを信じなさい。そうしたら、あなたもあなたの家族も救われます」(行伝16:31)とありますように、私たちに必要なのは心からの悔い改めと混じりけのない信仰です。「このような教えが私の子供時代の宗教教育でした、道徳教育でした。
わたくしは、口はうるさくなくともこのような教えを身をもって教えてくれた父母に今も感謝しています。
中学3年生の時、家族が金沢市に移りました。自宅の近くに金沢キリスト教会(その頃は伝道所)ができました。キリスト教との出会いの始まりでした。家族も寛容でしたので、1956年高校一年16歳のときバプテスマ(洗礼)を受けました。牧師は宮地治先生でした。
16歳でしたから聖書の内容も信仰もなにもわかっていませんでした。ところが宮地牧師は信仰告白(バプテスマ・洗礼にあたって必要でした)の際は、イエス・キリストによる罪の贖い、復活と再臨などをきちんと明記するようにと言われました。そのことを今も感謝しています。わからなくても深く考えるようになったからです。
西南の神学校を卒業し、外国の神学校を卒業して西南学院中学校に宗教(聖書)を教えることになりました。
しかし私のこころは完全に平安ではありませんでした。今朝の聖書の箇所のようでした。
わたしは、なんというみじめな人間なのだろう。だれが、この死のからだから、わたしを救ってくれるだろうか。ロマ7:24口語訳
私の心には別の自分があり、二重人格のようだったのです。理想の自分と、現実の自分との間に大きな落差がありました。大きなギャップがありました。これでも自分はクリスチャンなのか。偽善者ではないのか。このような疑問が生じ非常に苦しみました。
この問いは罪のゆるしの事柄であり大切な問題でした。
私たちは感謝して神の愛を素直に信じさえすればそれでよいのではないか。なぜ十字架の贖罪などということが必要なのか、どうしてもわかりませんでした。
しかし神はついにあるときわからせてくださいました。長年の疑問はついに解けたのです。天にも昇るうれしい気持ちでした。
罪のあがないなどといいますと、時代遅れの考えだ、古いユダヤ教の残りだという人もいるのです。
神は愛だから、人も愛を持って応答すればよい。これは単純なる福音でありますから、誰にでもわかるように思います。しかしキリスト教は違います。神は罪の代価を要求されるのです。
神は愛ですが、同時に神は義です。義でありますから私どもの罪を見逃されることはありません。大慈・大悲の阿弥陀とキリスト教は違うのです。このようなキリスト教の厳しさは、日本人には躓きであり、なかなか理解されず、キリスト教から離れた日本人はたくさんいるのです。神は、罪の処断(きまりをつける)をするため、ご自分で罪の罰をお受けになりました。つまりイエス・キリストの十字架に神の愛と義が示されたのです。ここに罪の決まりがつけられたのです。ここに救いの道はまっとうされました。私どもはただ神のおそなえくださったイエス・キリストを仰ぎみて、恵みをいただくことができるのです。
自分の過去を悔やみ、恥じたりすることはあってもイエス・キリストからいただく救いは永久であり、揺るぎなく堅固なものです。神の救いが私どものために、十字架上でどっしりと用意されたのです。このことがわかったことは、私には大きな喜びでした。贖罪という教えがなければ、私の信仰はあり得ません。小さ私の信仰はふらふらして、頼りないものです。しかしながら私を救ってくださるイエス・キリストは神の御子であり揺るぎのないお方です。イエス・キリストにつながることによりわたしたちの救いはゆるぎなく盤石となったのです。
最後に讃美歌229「十字架のもとは」をうたいます。私は教団讃美歌262番の方がすきなので、参考までに教団讃美歌の1節と2節を記します。
1.十字架のもとぞいと安けき 神の義と愛の会えるところ
あらし吹く時の巌のかげ 荒野の中なるわが隠れ家2.十字架の上にわれは仰ぐ わがため悩める神の御子を
妙にも尊き神の愛よ そこいも知られぬ人の罪よ
この歌には十字架の意味がよく表現されています。十字架はまさに神の義と愛の会えるところ、神の義と愛が交差するところです。「血を流すことなしには、罪のゆるしはあり得ない」(へブル9:22)と聖書にあります。イエス・キリストは私たちの罪を贖うために十字架で尊い血を流してくださいました。その結果私たちの罪過の責任は永久に免除されて、完全なる罪のゆるしをいただくことができました。十字架上に神の義はまっとうされ、神の愛はあふれたのです。
私達はただ感謝して神の恵みを受けるだけです。信じて仰ぎその恵みをいただくだけです。キリスト教は信仰100%、行い0%の宗教です。