【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2024年3月3日説教要約
聖書箇所 列王記上19章3~13節
みことばの秘訣
宗広 一美
今日で毎月一回の礼拝説教の御用も最後となりました。皆さまとのお交わりは、本当に貴重なものとなりました。心から感謝致します。そしてこの最終回の時にどのようなメッセージを運べるかは、またとても気になりました。とにかくまずは、「お任せします。」と言って、<みことば>を与えられることを乞い願って祈りました。
そうして選んだ聖書個所を見て、果て?と考え込んでしまいました。本当にこれからメッセージが出来るのかと。もちろん与えられた聖書個所を中心に一生懸命調べましたが、どうにも壁にぶつかって先に進めなくなりました。
しかし、有難いことに私には、とっておきの切り札があります。今日は、この切り札を皆様にプレゼントしたいと思います。聖書を読んでいて、どうにも混乱して分からなくさせられた時、水先案内人となり目標となるべき<みことば>があります。それは、「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。」というイエス様の十字架復活の愛の戒めです。そしてこの戒めには十字架復活の愛の力があります。不思議なのですが、壁にぶつかって行く先が分からなくなっている時、これを目標にして、これから再度考え出すと道が、驚くほど開けて来るのです。これを私は、何度も実感させられて来ました。
さて預言者エリヤは、イスラエルの民をイスラエルの神に立ち帰らせるために戦って来た人でした。何も他民族を改宗させるために戦って来たのではありません。そして彼に言えることは、メシア(救い主)では、ないということです。同じ弱い人間でした。ところが、イエス様が登場されて来ると、そこには、他民族との戦いということよりは、すべての人々との平和が示されて来ます。そしてイエス様もまた、エリヤ同様に、同胞から苦しめられました。さらに殺されて行かれました。しかし、これが救いの終わりではなく、すべての人に対する救いの始まりになりました。イエス様が神様から送られた救い主メシアであることが十字架復活の愛によって示されたからです。エリヤが成し得なかったことをイエス様は、十字架復活の愛の力を通して成し遂げられました。