2018年3月25日説教要旨 聖書 マタイによる福音書27章15節~18節
もう一人のイエス
梅木 光男
今週から受難週が始まります。神の御子イエスが神の救いの業に従って、我々の罪のために十字架で死なれたこと3日後に甦られることを覚えて歩む1週間です。本日の聖書の箇所はイスカリオテのユダの裏切りによって捕らえられ、ユダヤの指導者たちの陰謀によりローマ総督のピラトの尋問を受ける場面をとりあげました。当時ユダヤ地方はローマの属州となっており「死刑」にするためにはローマの裁判を受けなければならない状況にありました。聖書はこの裁判の様子を生き生きと描写しています。ユダヤの祭司長たちに告発されたイエスですが、その裁判でピラトは態度、罪状と妻からの助言等からみて何ら死刑にあたる罪は見当たらず、3度もその是非について問いかけています。また過越の祭りの際恩赦として一人の罪人を赦す慣例を持ち出し、このイエス・キリストかそれとも反乱罪で逮捕されたバラバ・イエスか群衆等に問うています。しかしユダヤの指導者たちに扇動された群衆の声によってついにピラトは自己保身のためにイエス・キリストを十字架刑に処する判決を下すこととなりました。本日は少し視点を変えてもう一人のバラバ・イエスの心情と今後の生き方について考察してみたいと考えています。
殺人罪や反乱罪等で投獄されているバラバは当然死刑を覚悟していました。しかし突然群衆の声に自分の耳を疑ったことでしょう。なんと死刑となるべき自分が助かり、見知らぬもう一人のイエスが「身代わり」となって十字架にかかるとは?奇妙で複雑な感情が巡って、一体このイエスとは何者なのかと自問したことでしょう。無関係のイエスを十字架刑にしたことは、彼に深くかつ重く残ったのです。
彼も「身代わり」という十字架を背負ったのです。すべての人に捨てられた絶望と悲しみにも関わらず、慈愛と慰めに満ちたイエスのまなざしを思い出しました。そして心の中でつぶやきつつ「あの人のために生き方を変えよう」と決心したのです。
我々もバラバと同様、主のまなざしをみつめつつ与えられたそれぞれの人生を喜びをもって歩もうではありませんか!