【聖書箇所朗読】
【説教音声ファイル】
2020年10月11日説教要旨
聖書箇所 マルコによる福音書2章1~12節
イエス様は「その人」の信仰を見た
原田 仰 神学生
奇跡物語には、「信仰」が密接なテーマとして関わっています。病人が癒される奇跡物語に対して、私がよく思い出す言葉は「あなたの信仰があなたを救った」というものです。しかし、今日の箇所はで癒された人だけではなく、イエス様は屋根から現れた「その人たち」の信仰も見たのです。しかし、その彼らの信仰が、病にある人の癒しになぜ関係したのでしょうか。しかも、ここでは病人含め、屋根から現れた人たちの信仰告白のような言葉は一切出てきません。にもかかわらず、イエス様は彼らのうちに信仰を見出し、彼らの信仰を通して、病人に「あなたの罪は赦された」宣言されたのです。
今日では「自己責任」という言葉がよく飛び交っています。自分が起こした問題の責任を自分でとること、それはある面では大切な意識の一つであるかもしれません。しかし私は、この言葉が「孤独」を引き起こしているのではないかと思います。
今回触れる聖書の物語では何を見ることができるでしょうか。天井から病人を下した四人の人に目を向けて見ましょう。彼らは病にある人に最後まで寄り添った者でした。彼らは病にある人が自ら負っている、「生きる責任」を彼らが一緒に負ったのです。そして彼らはイエス様を信頼して、その人への癒しを、「生」を、責任もってイエス様に委託したのです。そしてイエス様も一緒にその責任を背負われたのです。この物語においては「孤独」を生み出すような「自己責任」の理解はありません。ここに描かれているのは、信頼の中において誰かの「責任」を共に背負い、またそこから「自らの責任」を新たに見出す人々の姿です。
わたしたちと「罪」との関係は切っても切れないものとしてあるでしょう。その意味では、わたしたちには自らの「罪」と見つめ合っていくべき「責任」があります。その責任を果たす道のりには、あの病の人と助けた4人の人のように、助け合うことが必要不可欠なことになっていくでしょう。「罪」は知らず知らずのうちに、わたしたちを支配していくからです。しかし、同時にわたしたちには切っても切れない救い主がいらっしゃいます。そのお方は、わたしたちの罪を共に背負い、わたしたちと共に歩まれるお方です。その救い主こそが、「イエス・キリスト」なのです。